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おとなの遊び方

子供の頃は別に言われなくても、いろいろな「遊び」を考えて、トライして、ときには一人で、ときには友達とワイワイガチャガチャ、やっていたと思います。おもちゃを使ってもいいし、ゲームに没頭するもあり。ただおしゃべりするというのも、遊びかも知れない。


そんな気軽にできていた「遊び」ですが、年齢を重ねるとともに「遊び」が少なくなってきたように思いませんか?


遊んでいる暇があったら、仕事に精を出し、明日の生活の糧と、それを稼ぐために、身体を整えたり、余暇を急速に当てたり。気分転換、ストレス発散に運動したり。まぁ、こういうことがいわゆる「遊び」にあたるかも知れませんが。


それでも、子供時分よりも「遊び」は確実に減っているように思うのですが、どうでしょうか。


子どもの遊びとおとなの遊び、もしかしたら、概念が違うのかも知れません。ここでちょっと考えてみたいと思います。


子供のころの「遊び」というのは、「遊び=生活」だったように思います。わたしも、勉強はそんなにしなかった方ですが、ほぼ毎日が「遊び=生活」だったように思います。


遊び以外のことはどうでもよくって、一日中「遊んで暮らせたらなぁ」と思うこともあったと思います。その度に親には「そんな甘いもんじゃない」みたいなことで、説教された記憶がありますけどねw


まぁ、言いたいことはよくわかる。遊んでいててもお金は手に入らないのだから。今のわたしの状況を考えると、遊んでてお金が入るような仕組みになっていないから、特にそう思うかも。


一方、大人の遊びというのはどうかというと「遊び→余った時間の過ごし方」のようになってしまっていると考えます。


本当はやりたい「遊び」をグッと堪えて、「やるべきこと、やらざるを得ないこと」をこなして、時間が余ったら、やることになっているように思います。


これだとどうでしょうか。お分かりだと思いますけど、子どもの時に比べて、圧倒的に「遊び」に使える時間が少ないですよね。時間が少ないということは、遊びに没頭する時間も少ないから、なかなか定着しない。


「ゲームは1日1時間」なんていう言葉も当時はやりましたが、人によっては1日に1時間も「遊び」に充てる時間なんてないよ!って、ありますよね。


寝る時間以外は「遊び」を考えていたあのころ。

「遊ぶ」時間を切り詰めて捻出している今。


効率よく、選択と集中って、だから大人なんだよ、と言われればそれまでですが、でも「掛けた時間」というのはかなりのアドバンテージです。その効果は大人の私たちも、よく知っているわけで。


となると子どものあそび時間は敵わないですよね。


おとなの遊び方も、多種多様ではあるけれど、どこか「自由な発想で遊ぶ」ということは少なくなっているようにも感じます。


子どもの時は欲しいモノがあっても、買うことができませんでした。それでも遊びたいと考えて、いろいろ創意工夫をした記憶があります。


おとなの遊びは、大体、定型が決まっていて、それに則って、楽しむやり方が多くなっている気がします。つまり「自由な発想で遊ぶ」ことが、ない、あるいは少ないと言いますか。


遊ぶというか、遊ばされているというか。もちろん、遊びを選択しているのは、わたしではあるけれども、誰かがやっていた数ある選択肢の中から、遊びを選択してやっているとしたら、「自由な発想」ではないのかなと。


まぁ、それが悪いわけじゃないし。わたし達の心が、それで楽しいと思えばそれでいいのだけれど。


時々、「仕事が遊び」という人がいるけれど、これは素晴らしいことだし、少し、羨ましいことでもあります。感覚としては子どものころから「遊び」が大人になっても変わっていないんだろうなぁと思います。


そういう大人になりたかったけど、まぁ仕方ない。少ない余暇をいかに遊びに変えていくかを考えて、おとなの遊びをしたいと思います。


それでは、また。

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