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専門家=全てが正しいわけではないことに早く気づきたい

世の中に専門家って、そりゃもう、ゴマンといるわけです。専門家のいうことは、とても頼もしいし、役に立つし、正しい(そうでない時もありますけどね)。つまり信用に多るということですよね。

だいたいにおいて正しいので、やっぱり頼りになる。その発言は、豊富な知識と、経験から生まれた確かな事実から出ていると思えば「うん、なるほどね!」ってなりますよね。

例えば、なんの肩書きもないわたしがいう発言と、全く同じことを、その道の専門家がいう発言、どっちを信じますか?もちろん、後者の専門家ですよね。(まぁ、わたしを選んでくれる奇特な人がいたら、全力で「ありがとうございます!」と伝えたいです)

ところがです。

また例えばになるんですが、なんの肩書きのないわたしと、ノー●ル賞物理学賞をとった物理学の専門家が、「料理の作り方」に対して論じるときに、どっちのいうことを信じますか?

やっぱり、後者の専門家ですか?それとも、わたし?

そうなんです。何か違和感を感じませんか。答えはどちらも信じちゃいけないんです。なぜならどちらも「料理の専門家」ではないからです。

それでも、門外漢の専門家を選んだのはどうしてでしょうか?

はい。おそらくそれは、「とある専門家のいうことは、(専門外であっても)全て正しいと思い込んでしまっている」ことだと思います。

何かの先生とか、専門家とか、何か権威や肩書きがついていると、その人の言うことは全面的に正しいと思い込んでいる。

確かにその人の「専門」なら、正しい確率は非常に高いとは思います。しかし「専門外」のことを「専門家」に聴いても、それが正しいとは限らない。ある意味、一般人と言っていることは変わらないはずですよね。

専門家の専門外に対するコメントに関して、それを鵜呑みにしてしまうのは、これって結構危ないですよね。ましてや人の命のかかる場面においては、ものすごく問題があります。それでもついつい、わたしたちは、何かの「専門家」の意見を素直に聴いてしまいがちです。

専門家の発言をよく聴いていないと、わたしたちの判断を間違う可能性があります。

わたしたちが気をつけなきゃいけないのは「その専門家が何の専門家で、何に対して発言しているのか」をしっかり把握することです。これが崩れると、戸惑い、大変な思いをすることになりそうです。

結局は、受け手のわたしたちも「自分で判断する頭を働かせる」必要があるんですよね。大変な時代になってきましたね。

それでは、また。


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