燃えるものが、ない
燃えるモノがないというのは、ゴミの話ではありません。まぁ、燃えるごみ、燃やせるゴミもモノが少ない生活になってから、少なくなったような気がしますけど、これがもう当たり前になってしまったので、特に何かを感じることも無くなりました。
強いて挙げれば「プラスチックゴミ」は相変わらず多いなぁ、と感じます。分別すると、3:1くらいの割合で、プラごみの方が多い感覚があります。
さて、冒頭からいきなり本題からずれましたが、燃えるモノがないと感じるのは、そう、今これを書いている、noteのことです。
どうも伸び悩みを感じているような気がします。スランプってやつですかね。今年に入ってから、毎日noteを書き始めて現在で260日以上経ちますが、日に日に、クオリティが下がってきているように感じます。
自分がそう感じるから、周りの評価もどうやら下がってきているようで、徐々に閲覧数が減ってきているようです。これは事実です。
なんだか情けない話ですが。
まぁ、実力といったらそれまでですが、きっと書いている記事に一貫性がなく、何より「燃えるものを感じない」ところが、「読まれない」ことに直結しているように思うんです。
燃えるもの、つまり読んでいて「楽しい!」とか「共感できる!」とか、「わたしも、そう思う」とかが少ない。
わたしが思っていることと、世間との間にはかなりのギャップがあるように思います。大多数の人が、わたしの記事を読み「わかる!」となれば、それなりに評価を受けると思いますが、そうではないところが現実。
ということは、「共感を得られない内容」であり「面白みがない」ということです。つまり心を熱くさせる何かが足りない。
眠たい記事。
眠たくなるのは、興味関心が薄く、心に響いてこない、そんな状態だと頭に入ってこなくなり、気がつけば睡眠している、ということになります。
呼んでいて眠たくなりませんか?
もし眠気を感じたとしたら、やはり「燃えるモノが、ない」ということだと思うのです。今も、この記事をダラダラと書いてますが、ここまでで何か面白い!共感できるって感じたことは、多分ないと思いますが、どうでしょうか・・・。
たとえそうでも。
それでも、わたしは前に進んで書き続けようと思います。こういう苦しい時期に書くことで、歩みを止めずに書くことで、何かが見えてくるかもしれない。
つまらない駄文ばかり読まされる方になってみろよ!とお叱りを受けるかもしれませんが、ご容赦ください。
いつか、面白い記事が読めるその日まで。
それでは、また。