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【考察】殆どの買いモノが失敗なんじゃないか

ちょっと穿った見方をします。実はこれまで買ったモノのほとんどが、失敗だったんじゃないか?って考えたんです。


モノを減らした今でも、まだまだモノ買ったり、手放したりを繰り返しています。家にあるストックは全体的に少なくはなりましたけど、それでも買いたいモノはあるし、生活に必要なモノは買わざるを得ません。


もし、「買ったモノを寿命まで全うして使い切る」と言うことが「成功」それ以外が「失敗」と言うことであったなら、タイトルにあるように、ほとんどの買ったモノが「失敗」に終わっていると言うのが、事実になります。


ちょっと変な気もしますが、続けます。


モノが少ない生活を続けていますが、「寿命まで全うして使い切る」って、果たして出来ているだろうか、って考えたらなかなかそうはなってないな、って思います。


寿命どこまでっていうのが、線引きも難しい。


消耗品なら、「内容量がなくなるまで」例えば、シャンプーならシャンプーの中身がなくなれば「寿命」と考えていいですよね。


トイレットペーパーなら、紙がなくなれば「寿命」と考えられます。


消耗品以外はなかなか難しい。例えば、先日ワイヤレスイヤホンを手放したことを書きました。

ここでも手放した理由を色々書いてますけど、果たして「寿命を全うした」から「手放した」わけではないんです。


家電の場合、「その機能が果たせなくなったとき」が「寿命」と考えると、今回手放したワイヤレスイヤホン、「寿命を全うした」とは言えないと思います。


バッテリーがへたって、短時間しか持たない、そんな状態ではありますけど、イヤホンから音はまだ出ます。聞こえます。


イヤホンの場合は「イヤホンから音がしない」状態が「寿命」と考えると、この状態では「寿命」とはいえませんよね。


そうなると、「寿命を全うせずに手放した」ことになりますから、わたしのワイヤレスイヤホンについての取り扱い、つまり買い物は「失敗」だったということになります。


もうひとつ。例えば「衣服」で考えるとどうでしょうか。衣服の場合「寿命」を考えると、機能として使えなくなるが寿命の定義だと考えると「穴が空いたり、破れたりした状態」が「寿命」になると考えます。


この定義で考えると「穴が空いたり、破れたりして、着ることができなくなった服」って、これまでの人生で何枚あったでしょうか?


そうなんですよ。これを定義にしてしまうと、ほとんどの服が寿命を全うしていないことになるから、買った服はほぼ「失敗」だったということになります。


このように考えると、やはり多くのモノが「寿命を全うせずに手放した」というケースが多く、わたしがこれまで買ってきたモノは「ほぼ失敗」だったということになります。


でもですね。


ちょっとこれ、どこか無理があると思うんですよね。そもそも、失敗の定義を「寿命」もっというと「機能をはたさなくなること」に定義を置いてしまうと、こういうことになります。


そして人間「失敗」と言われると、ネガティブになりがち。


モノによって、人によって「寿命」の定義は違うのだろうけど、あまり厳密にそれを線引きしすぎない方が精神衛生上、良いかも。


また「寿命」の捉え方として「機能」だけに囚われるとこうなるのですが、「寿命」に感じるのはそれだけじゃない。例えば、デザインが「寿命」、お気に入りが「寿命」、モチベーションが「寿命」等です。


モノを持つか持たないか、機能だけで決まるものではなく、わたし達の感情によっても左右されるということですよね。


買い物が失敗だった、そうは思いたくないし、あまり失敗を積み重ねたとも思いたくない。まぁ、あんまり普段買い物が全部失敗だとは思いませんけど。


中には本当に失敗で「一度も使われることなく手放した」というものもありますけど、それは「失敗」でもいいと思います。


結論として殆どの買い物は失敗か?についての回答は「そうではない」ということになろうと思います。


だったら、買い物をしたときに「失敗」と思う必要はあまりなくて、堂々としていればいいんですよね。もし一度も使わないという「失敗」をしてしまったのなら、メルカリで売るとか、リサイクルショップに持っていくとか、欲しい人がいれば、あげるとかすれば、心は痛みませんよね。


それでは、また。


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