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ミニマリスト歴●年。長けりゃいいってもんでもない

ミニマリスト歴でいうと、わたしが始めたのが2016年頃ですから、おそらく4年?5年くらいになります。まだ飽きずにやり続けていますから、歴としてはそこそこな感じですかね。


同じ時期に生まれた赤ちゃんがいたとしたら、もう幼稚園。

オリンピックは運が良ければ2回目が見られる。

高校、大学なら入学して卒業を迎える。


どうでしょうか?長い?短い?

長く感じるか、短く感じるか、それは人それぞれだと思いますけど、わたしの感覚からすると、長くもなければ、短くもない。というか、そこに特に感想はないというのが正直なところです。

長く続けることに意義がある。

まぁ、それも一理あるでしょう。でも、ミニマリストって、特別なスキルではないから、選ばれしものだけができるわけでもない。「やろう!」って一念発起すれば、誰でもやれてしまうことなんですよね。

今では、モノが少ない生活を「無理してやっている」感覚はありません。最初の1年くらいは「かなり気合を入れてやっていた」感じはありますけど、なれてくると、そこまで気を遣わなくても、普通にやれてしまう。そんな感想を持っています。

あ。俺、やれるんだ。って感じで。

だから長くやり続けること、ミニマリスト歴●年にこだわることは、あんまり価値を見出せていません。長さを競って何になるのでしょうか?

もうお分かりですよね。

長くやってりゃいいってもんでもないし、競っても意味はない。モノの少なさを競うのと同じようなものといえば、わかりやすいでしょうか。

会社でもそうですけど「長くやってりゃ、偉い」ってわけでもないです。長くやることと仕事ができることがイコールではないことは、もうお分かりですよね。

それよりも、目の前にあるモノ。これをなんとかしませんか?なんのためにモノを手放して、モノが少ない生活をするのか?ミニマリスト歴を指折り数えることよりも、こっちの方が重要だと思うんですよね。

まぁ、人それぞれ、考え方の違いがあるので、否定はしません。「そういう考えもあるんだよね」と認めます。

長く続けることも必要かもしれませんが、それ以上に大事なのはなんなのか?軸がブレてしまうと、続ける意味もわかんなくなってしまいます。

わたしは、それが分からなくなって見失うことの方が、嫌だ。そう思います。

まぁ、でも、どんなことでも「長く続けられた」というのは、自分にとっての大きな自信になることがあるので、そういう意味においては、ミニマリスト歴を振り返るのもいいかもしれません。

お酒を飲みながら、ミニマリストとミニマリスト歴について盛り上がるのもありだよなぁ、と思いながら、今日もいつものように一人静かに過ごそう。そう思います。

それでは、また。

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