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「好き」と言えば、2文字で済んだのに

「ありがとう。そういうところめっちゃ好き」

そう言われたとき、不覚にもドキッとした。それは同時にギクッとしたことでもあった。

先日、友達のお悩み相談……というか、「ただただ今日あった嫌なことを聞いてほしい。アドバイスはいらぬ。まったくもっと所望していない。つまるところ、サンドバッグになってほしい」と連絡をもらって、「明け透けで最高じゃないか!」と思った私は、二つ返事でOKした。

たっぷり2時間ぐらいだろうか。

その中で私が発せた言葉といえば、「うん」「そうだね」「それはなんてこった」「あ~やっちゃたね」「さすが」「すごい」「よくぞ耐え抜きました」ぐらいのもので、何かを言っているようで何も言っていない。のらりくらりと彼女の話を聞いていた。ただ、そのときはそれが正解になった。だって、彼女にそうであることを求められていたから。

そして、すべてを吐き出し「もう、これ以上は何もない」と彼女が言ったあと、冒頭の言葉をくれた。

「聞いてくれてありがとうね。めっちゃ変なお願いだったけど、それを言えたのはたなべだからだね。そういうところめっちゃ好き」と。


「好き」というたった2文字でいろんな想いを含ませられるこの言葉を、私は久しぶりに聞いた。しかもそれを自分に向けられたものとして受け取ったのは、もっともっと久しぶりのことだった。

だから、ドキッとした。そして同時にギクッとしたのは、「久しぶり」であることを思い知らされたからだった。自分に向けられたものとして聞くこともそうだし、自分が誰かに向けて言うことすらも最近は怠っていた。

たった2文字で伝わるものがあるし、関係が変わったり、むしろより強まったりする2文字を、私は久しく自分の舌にのせていない。味わわせてもいない。

思い返せば、最近でも言える場面はきっとたくさんあった。あったのに、私は「好き」を選択せず、「ありがとう」とか「一緒にいると安心する」とか「会えてよかった」とか、耳障りのいい言葉に変換して言っていたような気がする。

ほんとうは全部「好き」と言えば済むところを、わざわざ文字数を多くして正しく受け取られようとしていた、自分のねじ曲がりにギクッとしたのだった。



”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。