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来週末、いちばん好きな人と会えることになった

来週末、いちばん好きな人と会えることになった。それが今の生命線で、あれも話したいし、これも話したいし、そっちのことも話したいと、目につくことをひたすらメモってため込んでいる。例えば、ファミレス行きたくなる気分について。自分で自分を褒めるときの声量と言葉選び。メイク用品の600円は躊躇ないのに、鱈の400円を躊躇してしまう心持ちについて。などなど。

きっとどんな話題を振ったとしても「あ~考えることあるよね」と言って真剣に答えてくれると思う。それも、独自の視点を持った、独自の考え方を、独自の言葉で話してくれると思う。私たちは、出会ったときからずっと、会えばそんな取り留めもないことばかりを話している。他の人に話したら「なにそれ(笑)」で一蹴されてしまいそうな話をしている。むかし、誰かに「それだけ一緒にいて何を話すの?」と聞かれたことがあって、そう言われると困ってしまって「なんにも話してないかも……」と答えてしまった。だけどそれは沈黙しているということじゃなくて、話したことを覚えていないのだ。話したことは、話したそばから頭の中からするすると抜けてしまう。けれど、言葉だけは信じられない量が積み重なっている状態なのだ。

そして、私が今度会ったら一番話したいなと思っているのが、人間関係の終着点について、だ。私はたまに「もうこの世に、この人だけがいればいいな」と終末思想になることがある。私の状態にもよるけれど、誰かと出会ったとしても比べてしまうのだ。「きっとここはこう言わないだろうな」とか「この距離の取り方はしないだろうな」とか。だから結局、極端な終末思想になってしまうのだ。

そう思えるだけの人がいることは幸せであり、同時に不幸だと思う。私にとって、人間関係の終着点なのだ。どこまで行っても、最後にはその人になる。さいあく、「もう、いいや」って思う。思っちゃう。会えることが決まってから、最近はそんなことを考えてしまう。だからといって交友関係を閉じるつもりはないし、広げないつもりはないのだけれど、ときどき、そんなふうに考えてしまうのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。