危篤から臨終のプロセス(個人的見解)
暑い日が続くハワイです。
あんまり暑いので冷たい緑茶を母にお供えしました。
母の写真を見ながら冷たい緑茶を飲んでいると、自然と危篤状態でからっからに乾ききった口をパクパクさせていた母の最後の姿が思い出され、胸が痛みます。
末期がん患者がなすすべもなくなり、「死を待つだけ」という状態になった時、どうやら行われるプロセスは皆同じようです。
患者へのモルヒネの大量投与、断食、断水。
医療する側は「痛みを緩和するため。」というけれど、私は本当にモルヒネで痛みは緩和されているのだろうか?と思います。 確かに、私も帝王切開の後しばらくモルヒネのお世話になり助かったのですが、母を日本で、親友をハワイで同じように癌で失った私にはモルヒネは「死を恐れ、痛がり怖がる患者を黙らせる。」ために投与されているように思ってしまいます。
点滴が外されるのは、「水分投与をし続けたら死期が来るのが長引きそれだけ患者さんが苦しむから。」と病院から説明されますが、言い換えれば、脱水症状で死なせてあげているのだと私は思うのです。
考えすぎかな?
「もし、癌患者が死の間際まで痛みを感じ、意識ははっきりとしているのだけれど、本当はモルヒネの大量投与のせいで体を動かしたり、言葉を発することができず自分の痛みや喉の渇きを訴えられずにいたとしたら?」
モルヒネが蓄積し、意識は朦朧とするなか、母も私の親友も「あぁ、やっぱりちゃんと気がついている。」と思うことが少ない時間でしたが、私が看取っている間にありました。
「本当は、やっぱり喉かわいてたよねぇ。」
そう、思わざるを得ないのです。
母の3度目の化学療法はやっぱり母を苦しめ、生活の質を落とし、母にもっと残酷な死に方に導いてしまったように思います。
そして、親友が化学療法中に腸が破裂し緊急手術をしたことも、やらなくていい手術だったと私は思います。 免疫がなくなっていた親友に施された手術は結局切開された傷が癒えず、化膿し、亡くなりました。
私が幼かった頃、喘息が院内1ひどくいつも病院に助けられていた私にとって「医者」とは患者を助けてくれる偉大な人。「薬」も私の命を救う大切なもの、というメッセージが心に刷り込まれていたけれど、歳を重ねるにつれ、だんだん「現代医療」に疑問を持つようになりました。
今回の私の二人の大切な人のがん治療から死までの経緯は「医療への不信感」を一層募らせる結果となってしまったことは残念でなりません。
余談ですが、私の親友はホスピスで2週間頑張りました。 その時にやはりホスピスのナースから言われたことは「静かに逝かせてあげたいのなら、食べさせないこと、飲ませないこと。」でした。
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