【掌編】死者を殺す
中学校が取り壊される、と友人が連絡してきた。俺たちが通っていた中学校だ。取り壊される前に中を見に行こうという話が持ちあがっているらしい。
拒否しようと思った。中学校にはいい思い出がない。それは友人も同じはずだが、四十歳になる節目の年に取り壊されるのは何かの縁だと言われた。
縁。にわかに、胸のむかつきをおぼえた。スマホを持つ手が汗ばんでくる。行くなという声と、行かなければならないという声が、頭の中で争っている。行こう、という声は最後まで聞こえなかった。
気は進まなかったが、俺は行くことにした。変にかんぐられるのも嫌だった。
中学校に集まった友人たちは、男も女もちゃんと大人になっていた。老けたなあと笑いながら、校舎へ入っていく。
校舎の各階を念入りに見てまわっているうちに、俺は「2‐A」というプレートのかかった教室を見つけた。友人たちに何も言わず、吸い寄せられるようにその教室へ向かった。
他の教室と同じく、小さな机と椅子が並んでいる。中学生は大人の入り口だと言われたことがあるが、本当に入り口で、まだまだ子供だったんだなと思い知らされる。
俺はこの教室で学び、遊び、そして……ある女子から告白を受けた。
「好きです。つきあってください」
地味な女の子だった。ださいおかっぱ頭で分厚い眼鏡をかけていて、全体的に野暮ったさが抜け切れていなかった。中学生ならそんなものかもしれないが、彼女は友達にからかわれるぐらい、野暮ったかった。
ただ、俺はそんな彼女が嫌いではなかった。むしろ好きだったぐらいだ。だが、その場で「いいよ」とこたえる勇気は、俺にはなかった。
「少し考えさせて」
焦らすつもりはなかったが、そんな返事をしてしまった。俺の言葉を彼女がどう受けとったか、数日後、知ることになる。
彼女は教室の窓から身を投げた。それほどの高さはなかったが、落ちた場所が、運悪くコンクリートの階段の上だった。頭を強く打って四日後に亡くなった。
突然、彼女が身を投げたのだから、教室は大パニックに陥った。何があったの、どうして、誰か先生を呼べ。悲鳴と怒号が教室を満たしていた。
俺は突っ立ったまま、あるものをじっと見つめていた。彼女の椅子の上に置いてあった封筒。遺書、という言葉が浮かび、俺はみんながあわてているうちにそれを回収した。そして、中身も見ずに持って帰り、父のライターで燃やした。
こわかった。自分のことが書かれているのではないかと思った。自分はこたえを先送りにしただけなのに、彼女はふられたと思いこみ、身を投げた。そんなストーリーが頭の中にできあがっていた。
「何してるんだ!」
友人の大声に、俺は我に返った。目の前に広がる光景に、一気に血の気が引いた。
俺は窓から身を乗りだしていた。視線の先には、彼女が頭をぶつけたコンクリートの階段が見える。さっきまで教室の入り口にいたはずなのに、いつの間にこんなところへ?
「引っ張られたか」友人は言った。誰に、とは言わなかった。彼も事件の渦中にいたひとりだ。「大丈夫か? 真っ青だぞ」
「大丈……夫。少し、気分が悪いだけだ」あえぐようにこたえる。
俺は友人に支えられて、教室を出た。
「ひどい事件だったよな」
「あ、ああ」胃液がのぼってくるのを感じ、俺は口を閉じた。
「ひどいいじめにあってたなんて、誰も知らなかったんだ。何しろ、校外でやられてたらしいからな」
「いじめ?」俺は顔をあげた。
「学校の外で金をまきあげられたり、暴力を振るわれたり、挙句、男の相手をさせられたり……同級生の誰かが主犯だって言われてるが、わからずじまいだ」
「何だよ、それ」聞いたことがない。
「噂の域を出なかったし、教師連中も何も言わなかった。それに」友人はため息をつき、「遺書も見つからなかった。彼女がもし、何か残してくれてたらもっとちがったんだろうが」
封筒。自分が始末した、あの封筒。
「今となっちゃあ、真相なんかわからない。でも、忘れちゃいけないと思って、取り壊される前の学校へ行こうって提案したんだ。彼女は殺されたようなものだ。ここに来た奴らはみんな、そう思ってる」
俺はめまいを起こし、その場に膝をついた。こみあげてきたものをすべて、廊下にぶちまけた。
彼女を死に追いやったのが誰かはわからない。
だが、死者の声を殺したのは、まぎれもなく俺だ。
抱えきれない重荷をおろすように、俺は喉が焼けるまで吐き続けた。
(了)
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