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【掌編】ハンディキャップ

 なつかしいなあ、と不動裕也はつぶやいた。
 裕也たちは、十年近く前に通っていた中学校の教室にいた。
 廃校が決まり、取り壊されることになったため、その前に中を見たいと役所にかけあったのだ。意外にも役所が柔軟に対応してくれたため、裕也たちはすんなりとなつかしの学び舎に入ることができた。
「たしか二年のとき、俺たち三人が初めて同じクラスになったんだっけ」裕也が言った。
「そういやそうだったな」同級生の本郷湊がうなずいた。
「たしか俺が湊の左側の席に座ってて、消しゴムを落としたんだ」裕也は思いだしながら言葉を続ける。「なのにすぐ拾おうとしなかった。身体をちょっと左に傾ければ、すぐに手が届くのに」もたもたしている湊を見かねて、裕也が消しゴムを拾った。「そのとき気づいたんだよな」
「俺の左腕のことか」
 湊は右手で左肩に触れた。左肩より先──左腕は、つけ根から存在しなかった。
 裕也は驚き、事故にでもあったのかとぶしつけにもたずねた。湊は生まれつきだとこたえた。
「裕也もばかだよね。いくら長袖とはいえ、それまで全然気づかないなんて」
 同級生の辺見晶が笑った。裕也と湊は晶の顔を見て、眉を曇らせた。
「晶、お前大丈夫なのか?」裕也がたずねた。
「何が?」晶はまだ笑っている。
「別に俺が誘ったからって、来なくてもよかったんだぞ。お前には、その……」
「いい思い出がないって?」晶の表情にふっと翳がさす。「そうかもしれないね」
 晶は中学時代、ひどいいじめを受けていた。そのことを知った裕也と湊は、後先考えず動いた。腕っぷしも気も強かった二人は、いじめっ子と大喧嘩をするはめになった。
 それから、いじめっ子たちは晶をいじめることはなくなった。しかし晶の受けた心の傷は大きく、不登校になったうえ、うつ病を発症した。今でも通院しているらしい。
「誘ってくれてうれしかったよ」晶は言った。「いい思い出はあまりないけど、裕也たちと出会えた場所だ。それだけでも来る価値はある」
「そうか」
「裕也こそ、よく来ようと思ったね」晶は急に真剣な表情になった。
「俺の問題はほぼ解決してるからな」裕也は苦笑した。
 裕也の家庭は生活保護を受けていた。貧しかったことを学校でからかわれたのは一度や二度ではないし、生活保護世帯への冷たいまなざしを経験した回数は数え切れない。
 高校まではどうにか卒業したものの、そこから先は働くしかなかった。
「仕事があるだけ御の字だ」湊は小さな椅子に腰かけた。「俺はもうすぐ大学卒業だっていうのに、決まってない」
「湊なら大丈夫だって」晶はおおげさに腕を広げながら言った。「資格を取ったりして頑張ってるんでしょ?」
 まあな、と湊は苦笑にも似た笑いをもらし、裕也にちらりと目を向けた。
 裕也も湊もわかっているのだ。晶のような一目ではわからない病を持つ者には、湊とはちがう苦しさがあるということを。
「中学を卒業するとき、先生が何て言ったかおぼえてるか?」裕也が訊いた。
「自立した大人になれ、だったか」湊は言った。
「『自立とは他人を頼らず自分の足だけで立てることだ』とも言った。でもそれは間違っていると思う」裕也は言った。「そうじゃないと、湊は永久に大人になれないことになる」
「まあ、たしかにまわりの助けが必要になることもあるな」
「湊だけじゃない。晶だって、助けや配慮が必要だろ?」
「うん、まあ……」晶は言葉を濁した。
「俺だってそうだ」裕也は言った。「働きはじめるまで、生活保護をずっと受けてた。誰かに頼らないと生きられなかった」
「何が言いたいんだ」湊はまっすぐに裕也を見つめた。「嫌なことを思いだすために集まったわけじゃないだろ」
「俺はただ」裕也は少し目を伏せ、「俺たち三人の誰かが困っていたら、お互いに手を貸そうって。そういう仲でいられればいいなって」
 自立は大切だ。でも、人を頼らないことを否定するものではない。困ったときにきちんと人を頼れること……それが自立なのだと裕也は思っていた。
「心配だったんだな」湊の表情がゆるむ。「俺たち、これからはバラバラになるだろうから」
 裕也はわずかにうなずいた。
「わかった」晶は軽く拳を握り、腕をあげた。「困ったことがあったら、二人を頼る。嫌でもね」
「俺もだ」湊も腕をあげた。
 三人は互いの拳を軽く打ちあわせた。
 それが、約束となった。

(了)

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