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『指輪物語』──想像力の翼

 子供というのは、想像力の塊である。
 空に浮かぶ雲、ゆらめくロウソクの炎、ちらちらと降り注ぐ雪の粉。大人なら特に何も感じないものから、子供たちは想像力の翼を大きくはばたかせる。
 あの雲は大きな島のようだ。もし人がいるとしたら、どんな国を作り、どんな人が住んでいるのだろう。
 わずかな空気の動きで形を変えるロウソクは、意思を持っているかのようだ。わずかにこちらに傾く姿は、まるであいさつをしているように見える。
 雪はゆっくりと空から舞い降り、地面に溶けて消える。なぜ降ってくるのだろう。誰かが降らせているのだろうか。
 子供たちの想像力は、とどまるところを知らない。
 そして、想像力豊かな子供のうちに読んでいただきたいのが、『指輪物語』である。

 『指輪物語』は非常に長いファンタジー小説である。ホビットの青年フロドが、邪悪な力を持つ指輪を破壊するために旅に出る。その中で仲間と出会い、ときに別れ、戦争に巻きこまれ、最後は運命の決断を下す。その長さに見合った内容がつまっている。
 映画にもなったため、そちらを見た方が早いと考える人もいるだろう。だが、私は映画版を推奨しない。映画の出来が悪いわけではない。
 本作は、「文字を追い、想像する」ことに意味がある作品だからだ。
 私が本書の存在を知ったのは小学生のころだが、読みはじめたのは中学生になってからだ。それまでに本はいくらか読んでいたが、読書家、読書好き、と呼ぶには程遠い子供だった。
 だが、『指輪物語』を開き、少し読み進めただけで、これは普通の小説とはちがう、とすぐにわかった。
 『指輪物語』の世界は、「中つ国(Middle-earth)」と呼ばれている。人間以外に、ホビットという小人やエルフという妖精、竜、悪鬼の類などが生きている世界だ。中つ国は広大で、人の侵入を拒むほどに高い山や荒地もあれば、豊かな森が広がる地域もある。
 ページをめくるにつれ、広大な世界や、旅を続けるフロドたちの姿が、「本からくっきりと浮かび上がってきた」。
 これは比喩でもなんでもなく、私の目の前に「中つ国が現れた」のだ。
 「中二病」という言葉がある。もともとは自意識過剰を揶揄する言葉であったが、創造性に富む作品や想像力を刺激する作品に対しても中二病という言葉が使われることがある。
 私が中学生のとき、『指輪物語』で体験したことも、中二病と揶揄されるかもしれないが、それはまったくの間違いである。
 自分自身が、中つ国にいる感覚。
 自分自身が、フロドたち登場人物とともに旅をしている感覚。
 どれほどリアルなCG、VRでも、あれほどの臨場感はなかったと言いきれる。匹敵するものがあるとすれば、それは現実世界のみである。
 当時、私は『指輪物語』を読むとき、椅子に深く座り、呼吸を整え、慎重に本を開いた。本を開いた瞬間、自分の目の前に中つ国が「現れる」。何度も言うが、これは比喩ではない。緊張しない方がおかしい。
 なぜ、他の本ではなく、『指輪物語』からこんな読書体験ができたのか。いまだにわからない。
 ただ、ひとつわかっていることがある。
 大人になってから『指輪物語』を開いても、もう中つ国は浮かび上がってこなかったということだ。私の想像力が中学生のころほど豊かではなくなったからだろう。
 しかし、あの体験が、私のその後の本に対する向きあい方に大きく影響したのは間違いない。私は今でも、想像力を強く刺激する、『指輪物語』のような作品を求めている。残念ながらまだ出合えてはいないが。
 もし、あなたが二十歳に満たない少年少女なら、『指輪物語』を手に取り、中つ国に「行ってみてほしい」。それは、今しかできないことだ。
 フロドとその仲間たちとともに、中つ国を旅してほしい。なにものにもかえがたい体験が、そこには待っている。

(了)

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