【掌編】わたし
眠れないとき、安藤さつきは起きることにしている。それがたとえ夜中の一時で、学校に行かなければならない日だとしてもだ。
さつきは県内の高校に通う女子生徒である。電車で一時間もかかる高校へ通うには、六時には起きなければならない。
眠らずとも、横になっていれば疲れはとれる。しかし、さつきにはそれができなかった。自分の中でうずく、いつもの「アレ」を解消しないと、眠れないどころか、授業に身が入らないことを知っていたからだ。
ベッドから出ると、さつきは椅子に座り、机の明かりをつけた。ふと、机に置いてある小さな鏡に目を向けた。素顔の自分が映っている。メイクを落とした自分は、地味だ。
普段のさつきは、派手な恰好をしている。厚い化粧に短いスカート、それにデコレーションだらけのスマートフォン。校則では「高校生らしい節度のある恰好」をするように指示されているが、教師は誰も注意しない。そういう校風なのだ。
さつきは鏡を脇へ追いやると、引きだしから紙の束を取りだした。四百字詰めの原稿用紙だ。ペン立てからボールペンを取り、いきなり原稿用紙のマスを埋めはじめた。
眠れない理由のほとんどは、さつきの中で暴れる「創作意欲」だった。
暴れる、というのは比喩ではない。文字通り、さつきの中で架空の人物が、物語が、文字が、暴れだし、「早く書いてくれ!」と訴えはじめるのだ。それを静めるには、書く以外の手はなかった。
ときおり、自分はおかしいのではないかと、さつきは思う。昼間は派手な恰好で、明るい性格……いわゆる「陽キャ」を演じ、夜は原稿用紙と向きあって、ひとりで小説を書いている。まるで陽キャの逆……「陰キャ」ではないか。
小説の執筆について、誰かの指導を受けたり、読んでもらったりしたことは一度もない。また、パソコンやスマホで書くことはしなかった。小説は原稿用紙に手で書くものなのだと、何となく思っていたからだ。
小説を書く行為をはじめたのは、高校生になってからだ。どうしても眠れない日が続き、本棚にあった小説に手を伸ばした。たしか父が買ってくれたものだと思うが、結局読まずにいたものだ。
本を読む趣味はなかったが、意外と面白く、五百ページ近い本を二晩で読んでしまった。
驚くことに、小説を読み切った翌日から、よく眠れるようになった。だが、しばらくするとまた眠れなくなり、別の小説を取るようになった。
病気を疑ったこともあるが、四冊目の本を読み終えたところで、さつきは自分の中に、抑えがたい、「衝動」としか呼べないものがあることに気がついた。それは「読む」ことではなく、「書く」ことで初めて発散できることに気づくまで、そう時間はかからなかった。
原稿用紙のマスが次々と埋まっていく。ボールペンを走らせるのは爽快だったし、原稿用紙の中に自分だけの物語が生まれていくのは快感だった。
ペンがとまった。物語は終わっていた。自分の中の「衝動」も消えていた。
ふっ、とため息をつき、さつきはもう一度、鏡で自分の顔を見た。
そういえば、と高校に入学する直前のことを思いだす。自分は引っ込み思案で、人に意見を言うことができなかった。いつも友達の意見に迎合していたし、好きな男の子に好きだと言うことすらできなかった。
そんな自分が嫌で、高校生になったら自分を変えよう、変わってやろう、と意気込んでいた。その結果が、派手なメイクやデコレーションだらけの重いスマホである。
今の自分は嫌いではない。友達は増えたし、意見も言えるようになった。積極的になったとさつきは感じている。
一方で、こつこつと何かを積みあげる行為に意味を見出している自分がいた。昼間の自分と比べれば地味だが、こちらも嫌いではないし、ひょっとすると自分の本質に近いのではないかとも思った。
事実、小説を書くと達成感がある。そのことも、自分の性質を裏づけているように思えた。
自分はいったい、どういう人間なのだろう。
ふとわきあがった疑問が、自分の中で暴れだした。
さつきは書き終えた短い小説を束にして引きだしにしまうと、今度は別のものを書きはじめた。
タイトルは──「わたし」。
もうすぐ夜が明ける。授業中、居眠りしないように気をつけないと、と思いながら、さつきはペンを走らせた。
(了)
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