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【短編】打倒すべき相手

「実は、彼女ができた」
 高浜明彦のスプーンから、学食のカレーがぼろっとこぼれ落ちた。「うわっ」あわてて白いカッターシャツに目を向けた。さいわい、カレーははねていない。
 目の前にいる友達……桜木幸司は、大きな身体を丸め、恥ずかしそうにしている。高校に入ってできた友達だが、豪胆で知られる柔道部員のこんな姿を見たのははじめてだ。
「え、何で?」明彦は間抜けな返事をしてしまう。
「俺の方から、つきあってくださいって」もじもじと身体を揺する幸司。ひかえめに言って、気持ち悪い。
「そうか、うん、そうか」明彦は動揺を隠すように、カレーを口に運んだ。かすかに手が震えていることをさとられていなければいいが。
「……えーっと、それで、誰と?」肝心なことを訊き忘れていた。
「うちのクラスの槙島さん」
「え、槙島さん!?」明彦はぎょっとして、危うく口の中のカレーを噴きだすところだった。
 槙島翔子は小柄で大人しい少女だ。幸司のようなデカブツと並んで歩いている姿が、失礼ながら想像できなかった。小さな翔子と比べると、美女と野獣である。
「お前、槙島さんみたいなのが好みだったのか」
 うん、と幸司は小鳥のように小さくうなずく。
「OKもらえたんならよかったと思うけどさ」心にもないことを言う。「何でそんなに不安そうにしてるわけ?」
「実は俺、槙島さんのことよく知らないんだ」
 まだ「槙島さん」呼びなんだな、と安堵しつつも、明彦は幸司の話に耳を傾けた。
 告白し、つきあうことになったものの、幸司は翔子のことをよく知らないらしい。凛とした態度にひかれ、ずっと気になっていたとのことだ。要は一目ぼれである。
 幸司は明彦に、翔子のことを詳しく訊いてほしいと頼んだ。好きな食べ物や趣味、休日は何をしているのか、といったごく一般的なことだ。
「それはお前が訊け」スプーンの先を幸司に向け、軽くにらむ。「もうつきあってんだから、話す機会なんていくらでもあるだろ。俺を通すな」腹立つから、とは言わないでおく。
 幸司は勢いよくかぶりを振った。「無理だ。槙島さん、いつも何か忙しそうで、話すひまもない」
「それ、つきあってるって言わないだろ」
「だから明彦に頼んでんだよ! 俺、槙島さんともっと親しくなりたいし、喜ぶようなことをしたいんだ!」
 頼む! と拝まれ、明彦は少し溜飲が下がった。こんな野獣みたいな男に彼女ができるなんて、と思っていたが、幸司が少しあわれに思えてきたからだ。
 どうしよっかなー、と食堂を見まわし、考えているそぶりを見せる。すると、幸司は鋭いまなざしを明彦に向けた。
「日替わり定食、七日分でどうだ」
「特A七日分な」幸司の提案を蹴り倒す。
「ひどいなお前!」
 特A定食は、学食で最も高い定食だ。
「うるせえ。こちとら成長期なんだよ」
 それは俺も同じだ! と怒る幸司だが、最終的には折れた。
 明彦は幸司の力になろうと決めていたが、自分より彼女を作った幸司を、いじめずにはいられなかった。

 明彦に頼んだ幸司は正しかった。明彦は友達が多い。クラスや部、性別の垣根すらやすやすとこえてしまう。コミュニケーション能力が高いのだ。
 まずは、翔子の周囲から探ってみることにした。
 クラスの女子生徒たちに近づき、なにげないそぶりで翔子について訊いてみる。
 女子生徒たちはみな首を傾げ、「そういえば、あんまり話さないなあ」「遊びに行ったこともないよね」「ノート写させてくれたりして、親切で悪い子じゃないんだけど、ちょっとつきあいは悪いかな」「生真面目なんだよ」
 次に、翔子が所属しているESS部に行ってみた。翔子がいないことを確認し、男友達に翔子のことを訊いてみると、
「もの凄く熱心だよ。将来は海外で仕事がしたいって、部の女の子に言ってた」
 その女子生徒をつかまえると、
「単語もたくさん知ってるし、発音も完璧。先生も驚いてた。でも、本人は全然だって。理想が高すぎるんじゃないかな」
「意識高い系?」
「うーん、そんな軽い言葉で片づけていいのかな。何か、言うじゃない。鬼が来るって言うの?」
「漫画好きなの?」
「じゃなくて……あ、思いだした。『鬼気迫る』だ。槙島さんって練習のとき、凄くこわいのよ。まわりがふざけてるのは別に気にならないみたいだけど」
「海外で仕事がしたいって言ってたらしいけど」
「仕事もそうだけど、勉強がしたいって言ってた。海外の最新技術を学びたいって」
 何の技術? とたずねたが、さあ? と女子生徒は首を傾げた。

 クラスメイトとESS部部員に話を聞いてみたが、たいしたことはわからなかった。そもそも、親しくつきあっている友達がいないため、何が好きか、趣味は何か、ということすら見えてこない。
 ただ、何か「目標」を持って、日々の生活を送っていることだけはわかった。
 あとは本人にあたってみるしかなさそうだな、と明彦は思った。
 翔子は簡単に昼食をすませ、図書室へ行くのが常だという。その日、明彦は昼食をおにぎり一個ですませ、図書室で待ち伏せすることにした。どうせこのあと、特A定食が待っているのだ。一食くらいどうということはない。
 昼休みがはじまって十分。はたして、翔子は姿を現した。
 小柄な身体に不似合いな、大きな紙袋をさげている。しかも丈夫な作りだ。百円均一で売っているものではない。
 図書室のカウンターに向かうと、紙袋からハードカバーの本を次々と取りだした。その数、二十冊。あの重量を支えようと思ったら、安っぽい袋では無理だろう。
「返します」翔子は図書委員に言い、返却の手続きをはじめた。
 あれだけの本を家に持ち帰っていたのか? あの小さな身体で? しかも教科書やノート、参考書もあるというのに。大変なんてものではない。
 翔子は本を返すと、本棚へ向かった。棚に貼ってある本の種別を確認すると、「医学」と書いてあった。
 翔子はあちこちの棚を見てまわる。大学受験に関する本を集めている場所にも足を向けた。
 彼女は無表情に本を選んでいるが、明彦には何か熱心なものが感じられた。そう感じさせるほど、じっと本の背を見つめ、吟味をしている。
 声をかけるのははばかられたが、思いきって「槙島さん」と声をかけた。
 翔子は明彦を見た。少し考えるようなそぶりを見せ、「高浜君?」とこたえた。
「そう、高浜。同じクラスの」
「私に用?」
「うん、ちょっと話がしたくて」
 翔子は無表情のままだ。無理か、と思ったとき、「いいよ」とあっさり承諾してくれた。
 図書室で話をするのは他の利用者の邪魔になるので、廊下に出た。
 幸司は、翔子のことをもっと知って、喜んでもらえるようなことがしたいと言っていた。だがその前に、言うべきことがある。
「幸司のことなんだけど」
「桜木君?」
「うん。つきあってるんだよ……ね?」
「つきあってる」
 やっぱりか。わかっていたが、あらためて現実をつきつけられると、追い越されたようでつらい。
「幸司がさ、槙島さんともっと話をしたいんだって」
「桜木君が高浜君に言ったの?」
 明彦はうなずいた。「でも、槙島さんはいつも忙しそうで、なかなか話もできないって言ってた。だから、少しでいいから、幸司のことも考えてやってくれないかな」
 翔子は顎に手を当て、少しうつむいた。ややあって顔をあげ、「わかった」とこたえた。
 あいかわらず無表情だが、こっちの気持ちはたしかに伝わったようだ。
 翔子が幸司と話をすると約束してくれた以上、明彦から彼女に訊くことはもうない。だが、明彦は翔子に対し、個人的に興味がわいてきた。
「ESS部に入ってるのは、語学が好きだから? 通訳になりたいとか」
「ちがう。留学や海外で就職するのに必要だと思うから」
「そんな先の目標まで決めてるんだ」まだ高校に入ってそれほど日が経っていないのに。「凄いな。技術者とか目指してるの?」
「医学の道に進もうと思ってる」
 医学。聞いただけで頭が痛くなりそうだ。実家が病院なのかと訊いたが、ちがうらしい。
「医者にはたぶんならない。というより、なれない」
「どうして?」
「手先が不器用だから外科医は無理だし、高浜君みたいに人と話すのが得意じゃないから、患者と話す姿が思い浮かばない」
 まだ挑戦もしていないのに、進めそうな道をばっさり切り捨ててしまうのか。
「こういうのは、できるだけ早い段階で見切りをつけないと、取り返しがつかないことになるから」
 つまり、自分の適性を早い段階で見極め、自分の「得意」が何なのかを把握しなければならないということか。
「じゃあ、槙島さんは医学系に進んで何になるの?」
「医学研究者」翔子は即答した。
 研究。また頭の痛くなるような単語が出てきた。
 「どうして研究者になりたいと思ったの?」
 翔子の表情が少し曇ったので、明彦はあわてた。
「ごめん、嫌なら言わなくても──」
「私は、医学が嫌いなの」
 一瞬、翔子が何を言っているのかわからなかった。
 医学が嫌い? でも、医学研究者の道に進みたいって……。
 翔子は窓の外に目を向けた。日が落ちかけている。廊下には赤い光がさしこんでいた。
「年のはなれた弟が、病気で死んだの」淡々と翔子は言った。「先生は、たいした病気じゃない、十分治せるものだって言いきった」でも亡くなった、と翔子は言った。「あれだけ自信たっぷりだった先生が、もの凄く狼狽してた。お父さんとお母さんは仕方のないことだ、これが運命だったんだって言ってたけど、私はそうは思わなかった」
「先生のせいだと思ってるわけ?」
「ちがう」翔子はかぶりを振った。「先生が悪いわけじゃない。先生が身につけてた医学が悪い。未熟な医学が、弟を……正樹を殺した」
 明彦は何も言えず、ただ翔子の横顔を見つめた。
 言っていることが理解できない。弟が亡くなったのなら、それは治ると豪語したにも関わらず死なせてしまった医者の力不足だと考えるのが普通なのではないか。
「私にとって、医学は倒すべき敵なのよ」翔子は明彦に視線を戻した。挑むようなまなざしだが、その視線は明彦のはるか後方へ向けられている。「先生に間違った知識を植えつけて、弟を殺した未熟な医学は、私が打倒する」
 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
 槙島さんはいつも忙しそうだ。
 翔子は生真面目なところがある。
 翔子には鬼気迫るものがある。
 その理由が、今、はっきりとわかった。
 翔子は毎日、敵と戦う準備をしているのだ。絶対に倒さなければならない敵を相手に、余裕などあるはずもない。
 しかし、医者の未熟さではなく、医学そのものが未熟であることが悪いなどとは、明彦自身、一度も考えたことがなかった。
「何てコメントすればいいかわからない考え方だ」明彦は正直に告げた。
「だと思う。自分でも、歪んでると思うから」翔子は苦笑した。
「最後にひとつだけ、聞かせてほしい。幸司のことはどう思ってるんだ? それだけの目標を持って頑張ってるのに、つきあうひまなんていないだろ」
 返答次第では、幸司と別れろと言うつもりだった。いい加減な気持ちで、幸司と接触してほしくはない。
 翔子の表情から険が消え、わずかだがやわらかくなった。
「桜木君のことは、その……好きだよ」小さな声で、恥ずかしそうに翔子は言った。「彼、いつも元気で、賑やかで、エネルギッシュじゃない? そういうところが、好き。私はあんなに元気じゃないから、どこかでくじけそうになることがある。でも、桜木君を見てたら元気をもらえるの」
 そうか、と言いながら、明彦はほっとしつつも複雑な気持ちになった。結局、お互いに想いあってるんじゃないか。
「桜木君には私から謝る」翔子は言った。「高浜君の手をわずらわせてごめんなさい。もっと、彼のこと考える」
「男のくせに、とか言わないんだな。俺はてっきり、他人なんか頼らずに自分で聞きに来い、とか言われるかと思った」
「男のくせになんて、セクハラじゃない。私だって、女のくせに、なんて言われると嫌だし。自分が言われて嫌なことは、人にはしたくない」
 それもセクハラなのか。世界を見つめている人の考え方は、やはり少しちがう。
「明日から、幸司といっしょに昼食取ったら? 少なくとも七日間はタダ飯食べられるよ」
「どうして?」
「幸司に訊けばわかる。俺から話しとくから」
 二人の距離が縮まるきっかけになるのなら、安いものだ。
 代わりに何を要求してやろうか。抜け駆け野郎には制裁を、だ。

(了)

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