見出し画像

【掌編】スマートな町

 電車がとまる少し前、左耳にはめているイヤリング型の端末が反応した。
『もうすぐ××駅、目的地です。ネットワークにつなげますか』
「うん、頼む」阿川浩一は小声で指示を出した。
 車内を見ると、「オッケー」「お願い」「たのんます」といった同じような声が聞こえてくる。みんな、形はちがえど耳に小さな端末をつけている。
 電車がとまると、『××町のネットワークに接続しました。スマートフォンとの連動も問題ありません』という声が聞こえてきた。
 浩一は駅を出て、あたりを見まわした。小さな町。田舎、と呼んでもいい。駅のまわりに喫茶店や理髪店、小さなスーパーなどが集中している。
「ここをはなれたら、何もなさそうだな」
『はい。田畑が広がっています』
 浩一ははたと立ちどまった。ポケットから財布を取りだし、中身を確かめる。
 高校生のふところ事情などわかりきっているが、浩一は苦い顔をした。
「……何か買ってくりゃよかった」
 今日は高校で知り合った友人の家へ行くために、電車に乗ってこの町までやってきた。親しい間柄とはいえ、初めて行く家に何の手土産もなしでは、家族の心証も悪くなってしまうだろう。
『十メートル先、左に曲がれば、ケーキを売っているお店があります』
「む」
 イヤリングの声に従い、歩く。小さな店だが、たしかにケーキ屋があった。
『今はいちごタルトがオススメです』
「いくらだ?」
『四分の一カットで、今だけ三百円! お土産にもオススメです!』
 機械的だった音声が、急に陽気な女性のものになる。あのケーキ屋が自分たちの情報を音声としてネットワークに流しているからだ。
 浩一はおすすめのいちごタルト四分の一カットを四つ買い、店を出た。
「助かった。ありがとう」
『どういたしまして』イヤリングの声は機械音声に戻っていた。
 ひとつの共同体が、ひとつのネットワークで統合されるようになって、ずいぶん経つ。浩一が生まれる前のできごとだ。
 村、町、市、都道府県、国、そして世界。それぞれが独自のネットワークを構築し、その共同体に入った途端、自由にネットワークへアクセスすることができる。
 ネットワークには様々な情報……たとえば先ほどのケーキ屋の情報など……が流れており、初めて来た場所でも、迷わずに目的地へ向かったり、おすすめの観光スポットを教えてもらったりできる。リアルタイムで共同体の人間と話しをすることも可能だ。
 情報端末の小型化が、ネットワークの進化に拍車をかけた。
 スマートフォンは健在だが、今やその区域の情報を得るだけなら、耳にかけるイヤホンのような端末で事足りる。音声制御技術の進化により、人と会話するように操作できるため、コンピュータに関する高度な知識は、専門家でもない限り不要となった。そのため、情報格差──デジタルディバイドは、なくなりつつある。
 それでも──
「えーっと、もしもし? 私の声、聞こえてる?」
 困ったような声に、浩一は首をめぐらせた。少し腰の曲がった老婆が、ひとりで話している。左耳に端末をつけているが、上手く操作できずにいるようだ。
 その原因は、すぐにわかった。
 浩一は老婆に近づき、「失礼します」と言って、端末に触れた。
「あ……ああ、聞こえる。こっちの声は聞こえていたのね」
「端末が耳からずれていましたから」だから、老婆には端末の声が聞こえなかったのだ。
「ありがとう。助かったわ」
 老婆は微笑んだ。浩一は軽く頭を下げて、友達の家に向かった。
 情報端末は進化したが、まだそれになれない人もいる。ちょっとした人的ミスで、上手く動かなくなってしまう。それもいずれなくなるだろう。
 田畑が広がる道を、端末の指示に従いながら歩く。遠くに見える一軒家が、友達──井上新(あらた)の家だと教えてくれた。
「おーい、井上。遊びに来たぞ」
 インターフォンを押して呼びかける。すぐに新が姿を見せた。学校と同じ人懐っこい笑みを浮かべ、
「よく来たな。あがれよ」新は言った。
「これ、お土産。家族で食べてくれ」
 浩一から箱の入った袋を受けとった新は、少し意地悪な顔を見せた。
「あわてて買ったな。駅前のケーキ屋のだもんな」
 ははは、と浩一は苦笑いする。バレて当然だ。
 町につくもっと前に指摘してくれれば、他のところで買えたのに……そのへんの機転は、機械にはまだないようだ。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?