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【掌編】24歳の母と24歳の息子

 私が彼……野上良一君に案内された場所は、墓地だった。ここに彼のお母さんである春子さんが眠っている。
「母さん、久しぶり」良一君はさびしそうにいった。
 良一君とその家族は、二十四年前……良一君が生まれた年に水害にあった。春子さんは水に呑まれ、行方不明である。だから、このお墓に春子さんの遺骨はない。
 良一君は生まれてすぐ、お母さんとはなればなれになった。だから、抱かれた記憶もない。それが悲しいと、良一君は打ち明けてくれたことがある。
 お父さんのスマホに入っていた画像データを見せてもらったことがある。私や良一君と同じ二十四歳の春子さん。凄くきれいな人で、私なんかよりずっと大人っぽかった。
 春子さんは良一君のお父さんと大学で知りあい、卒業後、結婚したらしい。春子さんは良一君を産んだあと、職場に復帰するつもりだった。その矢先に起こったのが、例の水害だ。
「母さん。俺、彼女と……日比谷恵さんと結婚します」線香を立てたあと、良一君ははっきりといった。
 今日、良一君が私を連れてきたのは、春子さんに結婚の報告をするためだ。行方不明だが、ここで報告するのが一番だと良一君は思ったのだろう。
 結婚、という言葉を聞いて、思わず身をかたくする。ゆっくりと周囲を見まわす。
 誰かに見られている。いや、値踏みされている? そんな視線を感じていた。だが、墓地には私たち“二人”しか見えない。
 春子さんは永遠に二十四歳のままだ。同じ年の小娘を、どのように見ているのだろうか。
 良一君のお父さんの話では、「穏やかだけど気が強い女性」だったらしい。
 今にも、
『あんたのような女は、良一にふさわしくない!』
と叱責されるのではないかと、ここにいない同い年の女性の存在を感じ、身震いした。
「俺は、こわい」墓を見たまま、良一君がつぶやいた。「君が消えてしまいそうで……母さんが、俺たちと同じ年で消えたからかな」
 良一君はときおり、弱音を吐く。そういうところは、春子さんよりもお父さんに似ているのだと前にいっていた。
 自慢ではないが、私は気の強い方だ。だからといって、弱音を吐く男性を情けない、とか、男のくせに、とか思ったりはしない。それがれっきとしたセクハラであることぐらい理解している。男だろうが女だろうが、弱気になることはあるのだ。
 私は良一君の隣に並んだ。軽く息を吸い、腹に力を入れる。そうしないと言葉を発せない“空気”のようなものを感じていたから。
「お義母さん」私はいった。「私は、良一君を幸せにします。良一君が弱っているときは、私が支えます。絶対にです。約束します」
『小娘がぬかすな!』
という叱責が聞こえそうだ。でも、撤回するつもりはない。
 肩に手がまわされた。
「先にいわれたな」良一君が苦笑する。「母さん、俺は恵を幸せにする。恵といっしょに幸せになる。だから、見守っていてほしい。今日はそれをいいにきたんだ」
 ひととおりの墓参りをすませたあと、「帰ろうか」と良一君はいった。
 私はうなずき、墓前で手をあわせてから、踵を返した。
 その直後。
 私と良一君は、同時に振り返った。しばらくかたまったまま、墓石を見つめている。目だけをお互いの顔に向けた。
「良一君……?」
「ああ。今」
 声が聞こえた。間違いない。
 何といったのかはわからない。ただ、優しい声音だったような気がする。
 それ以上言葉はかわさず、私たちは黙ったまま良一君が運転する車の助手席に乗った。
 彼は気づいていただろうか。
 私があの場でずっと感じていた“三人分”の気配が、声と同時に、私と良一君の“二人だけ”になっていたことを。

(了)

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