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尾崎放哉&鐘⓹

余韻(よいん)

尾崎放哉が詠んだ鐘の句はもっと沢山見つかると思っていたが青空文庫に載った須磨寺時代の4句で終わらせていただきます。放哉を俳人と見做すのは其々の思いであれば私がとやかく申しあげることはない。私の思いを述べるなら「詩心は懸命に生きようとする人の心に具わる希望・勇気」に尽きる。

誰かの詩心を特別視する視点は私のなかに無い。誰かの詩を優秀だとか立派だとか評価する視点は私のなかに無い。そうは言っても遊びを全否定するものでなく、たとえばババ抜きのカードゲームで母子・姉弟で騙しっこした想い出は未だに忘れられない私の大切な温かい記憶になって仕舞われている。

彼の句を年代別に並べて観よう。彼とは友だち百人できた放哉。彼の句は素晴しい・彼に倣おうとする賛辞を一身に集めた優秀な人物のこと。俳人として観るときの放哉は才能に溢れた人物に違いない。だが私のアンテナに放哉は俳人として映らない。彼も1人の人間‥で放哉の一生はどうだったか?

・きれ凧の糸かかりけり梅の枝     中学時代
・酒のまぬ身は葛水のつめたさよ    一校時代
・木犀に人を思ひて徘徊す       大学時代
・妻が留守の障子ぽっとり暮れたり   東京時代
・小供等たくさん連れて海渡る女よ   京城・長春時代
・皆働きに出てしまひ障子あけた儘の家 一燈園時代
・井戸の暗さにわが顔を見出す     須磨寺時代
・ころりと横になる今日が終つて居る  小浜時代
・旧暦の節句の鯉がをどつて居る    京都時代
・せきをしてもひとり(咳をしても一人)小豆島時代
・春の山のうしろから烟(けむり)が出だした   小豆島時代

不善を為せない放哉は須磨寺時代をイチバン穏やかに暮せたようだが、空っぽの心が埋まる時はなかったみたいだな。とにかく寂しくてならなかった放哉の心を癒すのは食べ物でなく・百人の友でもなく・生活の安定でもなかった。住居も職場も転々とし続けた身の上に安住を感じられる土地・住まいはどこにも無いことを身を以って知ったのか。だからどうすればいいのだ?

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