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マレーシアでの年越しを振り返る

2020年も終わろうとしています。noteをフォローさせていただいてるSugiharaさんがフィリピンでの年越しについて書かれていたので、私も触発されて2017〜2019年に滞在していたマレーシアでの年越しを思い出して書いてみます。

久しぶりの紅白歌合戦を見て過ごした2017年の暮れ

2017年の6月にマレーシアの会社に1年契約で入社しました。今考えると、50歳過ぎてよくやったな、と思います。

若い頃から「海外で暮らしてみたい」という夢を持っていた私ですが、子どもが成人して自由に好きなことができるようになったのに、新しい経験というものが億劫になっている自分を発見しました。

「やるなら今が最後のチャンスだ!」と思って飛び込んだのが、ここの会社でした。いくつものオフショア案件でカスタマーサービスを請け負っていて、私が所属していたのはエアアジアというマレーシアのLCC航空会社の日本人カスタマー向けコールセンターでした。

住居は会社近くのコンドミニアムで2ベッドルームと広々としたリビングダイニングキッチンの部屋を同期入社した同僚と二人でシェアしました。

彼女は料理上手で、インターネット回線で日本のテレビ番組が見られるプロバイダーと契約していたので、冬季オリンピックやワールドカップサッカーなどの時にはよく日本人の同僚たちが集まって、我が家で食事するのが常でした。

マレーシアでのお正月とは、住民の大半を占めるムスリムにとってはイスラム暦の新年があり、華人にとっては2月の春節であり、インド系住民にとっては秋に「デパバリ」というヒンドゥー教のお祭りがあります。

この写真は「デパバリ」の装飾。ショッピングモールなど街の至る所でこのような光景が見られました。

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1月1日は一応祝日ではあるものの、地味なものでした。それでも大晦日には、私たちの部屋にシェアメイトのおせち料理や年越し蕎麦を目当てにいつもの同僚たちが集まって、パーティを開きました。

地デジ導入以来、私はテレビを見ない生活だったので、何年も紅白歌合戦を見ていなかったのですが、この時ばかりは一緒に見て、すっかり流行が入れ替わったアイドルや歌を眺めていました。

日付が変わるとともに街のあちこちで花火や爆竹が上がり、ベランダに出るとコンドミニアムの住人たちが同じように顔を出していて、グラスを見せて乾杯したり、「Happy New Year!」と声を掛け合ったりしました。

そういうハートウォーミングな新年の挨拶って日本じゃないので、これを書きながら涙が出そうになってます(笑)

寄る辺なき異国での浪人生活で迎えた2019年

2018年の8月に会社との契約と就労ビザが切れて私は日本に帰りました。

本当はマレーシアか他のASEAN国で転職したかったのですが、希望職種であった編集や制作の仕事は稀少であり、ミャンマーでは立ち上がったばかりの日系出版社では最終面接までいったものの採用はかないませんでした。

ただし、マレーシアにアウトソーシングで委託したいと言ってくれる会社があったので、そこで働かせてもらうこととなり、10月に再来馬。

しかし、日本でもフリーランスの立場は不安定で不明確です。日本から逃げるように来てしまったけれど、フリーランスを外国でやるには、よほどの信念や技能などが必要であるということを当時の私は理解できていませんでした。

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あからひく 夕雲抱く 日の下で
黄金に光る 街の川かな
Under reddy cloud holding sunset
It is changing to night in
the scene of the city,
light of streets begin to illuminates
as like shining river is streaming.

なぜか突然、短歌や俳句作りにハマったのもこの頃(笑)。今思うと現実逃避だったのかもしれませんね。

仕事先からはインドネシアやベトナムへの出張を依頼されたりして、それなりに充実していましたし、それが今の仕事にも繋がっているので、後悔はしてないのですが、就労ビザも結局もらえず、住む場所も1ヶ月単位でシェアハウスを渡り歩いており、この先の不透明な状況に、不安を抱えていました。

そんな中で迎えた2019年の年明け。この時は、クアラルンプールの高級住宅街と呼ばれる場所の外れのコンドミニアムの34階の部屋に住んでいました。窓からは、まるで天空にいるような夜景が広がっており、花火も爆竹も足元から聞こえてきます。

私はこの体験をしたかったんだ。見たことのないものを見て、聞いたことのない言葉に囲まれて、日本にいたら会うこともなかった人たちと出会い、感じたことのない思いを噛みしめる・・・

けれども、「経験」とは、それを経たらすでに「過去」です。そして、それによって「未来」は作られていく

私は「経験」を欲してそれを手にするための行動はしたけれど、その先の「未来」のことまで考えていませんでした。

この夢のような光景を、「この先どうなるのだろう」「私はどうしたいんだろう」「どうしたらいいんだろう」ということを思いながら眺めていたのを覚えています。

noteで明けた2021年の元旦

2019年、私は2月中旬から1ヶ月のシンガポール出張を経て、日本に帰国することを決めます。

というのは、その頃から父の持病が悪化し、数ヶ月から一年程度の余命を宣告されたのを聞いたからです。

いくつかの記事にも書きましたが、私は両親との相性が超絶と言っていいほど悪いのですが、さすがに最期くらいは親孝行らしいことをしようと、その時は殊勝なことを考えたりしました。

実際の父との生活は、薨る数日前まで激しい親子喧嘩を繰り広げていましたが、手を握って「ありがとう」と言ってもらった瞬間のことを思い出すと、また涙が出そうになります。

というわけで、喪中だった2020年の年明けを経ての今年2021年は、ここ数年の年越しを思い出しているうちに迎えました。読んでくださってありがとうございます。

Thank you for everyone those who I met both in real and online.
Thank you for everything I have experienced in 2020.
I hope you enjoy your life and everything will be getting better in 2021.

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