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コロナについて、2月と3月の振り返り。

2月半ばのダイヤモンド・プリンセスの一件からコロナが話題になってきたと考えると、早いもので、もう半年が過ぎようとしています。

今後のことを考えるためにも、少し振り返ってみようかと思います。

2月は対岸の火事

新型コロナがヤバイらしいと、周りの感度が高い人がやけに騒ぎ出したのが2月のダイヤモンド・プリンセスのあたりでしょうか。僕はそれほど真剣に捉えておらず、「水際対策」って言葉を仕事で使ってウケを取ったりしてました。呑気でした。

仕事場の吉祥寺でも、2月の終わり頃から人が少なくなってきていた気がしていました。ランチを食べた店のご主人は、稼ぎ時の花見が心配と言っていたのを覚えています。

それでも友人の送別会にお好み焼きを食べに行くと、店は満員。酔っ払ってツバが飛ぶと「コロナ伝染るからやめーや!」ってツッコミが入って笑うくらいのものでした。

そういえば、武漢でコロナで亡くなった医師の告発ムービーがありましたね。それでも、まだ遠い異国のことだと思っていました。


警戒しはじめた3月。

3月くらいから、ちょっと警戒が強くなってきました。この頃から休眠していたtwitterをメモ代わりに使うことに。

3月13日に岡山の会社へ出張したのですが、工場に入れずに近くの喫茶店での打ち合わせとなりました。東京からの人間ということで警戒したのだと思います。コロナじゃなくて、岡山の牡蠣でノロにアタリました。

コロナの影響で、展示会もバタバタと中止に。商品開発の目標にしていたので、どうしたものかと考えてしまいますね。

新規、開発案件でテレワークなんて良いんじゃないかと思ったり。コロナ対策補助金を探し始めました。

3月22日からの三連休、割と花見に出る人が多かったですね。バス乗り場で花見へ行ったことを嬉しそうに話す老人を見て、人によって情報が違うんだと感慨深かったのを覚えています。K1が開催されてバッシングも受けました。結局、感染者でたのかな?

この頃から、日本の感染数の少なさはおかしいという話になってきていて、今思うと、割と早い段階でなぜ日本に感染者が増えないのか、みんな不思議がっていました。

それと、もうこの頃から夜の街がクラスターになってるという話も出てました。志村けんさんが亡くなったのも、赤坂の夜の街なんじゃないかという噂も。

恍惚と不安と 二つ我にあり

この頃は、まだ、なにか起こるって怖さとワクワク感が同居していて、まさに「 恍惚と不安と 二つ我にあり」的な感じだった。とにかくすごいスピードで世界が変わっていっている印象で、こんなことは経験したことがなかった。もしかしたら、戦争ってこんな感じなのかなとも、ちょっと思ったりして。

新しい扉が開くようでワクワクしたのは、会社員じゃないフリーランスのデザイナーという立場だったからだろうか。混沌としたときにこそ商機があるんじゃないかと考えだったのは、1つの組織に依存していない気楽さからだったのかもしれない。

なんとなく良い方向に変わるんじゃないかという、とても楽観的で他人任せな気持ちだったのを覚えている。



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