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【お金】と【付加価値】の話。人は何にお金を払うのかを考える。

皆様こんにちは PICOです。

学生時代【商品学】と言う授業を受けた事があり、その授業では『人は何にお金を払うのか』と言う話について講師が話をしていた。

例えば喫煙者は「ライター」を使うが、火を点けると言う目的が果たせれば良いのであれば、それは別に「マッチ」でも構わない訳である。

当然「マッチ」は「ライター」よりも安価なため、価格が安く火を点けると言う目的が果たせれば良いのであれば「ライター」を選択する必要は無いのである。 では、何故人は「ライター」を購入するのか。それは『煙草に火を点ける以外に価値がある』からである。

例えば、マッチは使い捨てで1度使用すればゴミになるが、ライターはオイルが無くなるまで何度でも使用可能で、オイルが無くなっても補充する事で何度でも使用できる。 人はそこに【価値】を感じ、それにお金を払っているのだ。

・・・では「ジッポライター」はどうだろうか。

先にマッチとライターの比較の話はしたが「ジッポライター」は、一般的なライター同様の機能を持ち、特にコレと言った違いも無いが、そこには明確な価格の差がある。 人は何故「ジッポライター」を購入するのか。

勿論、理由は様々だとは思うが、案外単純に【カッコイイ】だとか【お金持ちに見える】だとかの【付加価値】を感じたりしたからではないだろうか。

今回はそんな「人は何にお金を払うのか・・・」について少しだけ記事にしてみました。

もし宜しければ、読んで頂ければ幸いです。

※今回の記事には「宗教」と言う単語が度々登場します。 この記事に対してのクレーム等は一切受け付けておりませんので、お読みになる際は自己責任でお願いいたします。


◆人は「限定」にお金を払う。

多分、誰しも一度は目にした事があるであろう【期間限定】や【数量限定】【初回限定】の文字。 『今の時期しか買えない!』『これを逃したら次は無いかも!』…と言った、今だけしか楽しめないと言った謳い文句に人は弱く、さらに「今だけ○○が付いてくる!」と言ったオマケなどにも弱い。


◆人は「話題」や「新商品」にお金を払う。

「新発売の○○」「今話題の○○」といった目新しい物や最近注目されている物に人は弱く、少し前であれば『鬼滅の刃』の映画がとても話題になったが『皆が見ているから』『何か人気らしいから…』と言った具合に、特に興味は無くとも今話題の物だし自分も一応にチェックしておかなければ乗り遅れるという【危機感】や、他人と【共通の会話】を得るために映画館に足を運ぶ姿も頻繁に目にした。

また、YouTuberなどは一般人以上に新商品や話題のコンテンツに敏感で、そうした新商品などが出ると我先にとレビューしてみたりと、人は話題の最先端に興味があり、そうしたものにお金を払う傾向にある気がする。


◆人は「時間」にお金を払う。

目的地まで歩く事は出来るが「バス」や「電車」「タクシー」などを使い、目的地まで歩くよりもずっと早く到着する事が出来る。

これは単純に「お金で時間を買っている」と言って良いと思う。

または「UFOキャッチャー」や「カラオケ」「ボーリング」などの娯楽なども移動手段ではないが、楽しい時間を過ごすと言う事に対しての対価としてお金を払っているので、これもまた「楽しい時間にお金を払っている」と言えるのではないかと思う。


◆人は「人」にお金を払う。

ここまでの記事はごく一般的な話だと思うのだが、では一部で話題になっている【クラウドファンディング】はどうだろうか。

正直、クラウドファンディングの事を詳しくは知らないが、クラウドファンディングと言うのは簡単に言えば『僕は○○をしようと思う!だけどお金が足りないから誰か助けて!』と言った感じで、他者に応援を求め、お金を支払って貰い、自分の夢を実現させるというものだと私は思っているのだが、そのお金の出資も大きく分けると【寄付】【購入】【融資】の3種類があると私は思っている。(※実際はもっと多いのかもしれませんが…)

【寄付】と言うのは単純に、無償で相手にプレゼントするといった感じの募金の様なものだと思っている。 これは相手を純粋に応援したい人が行う行為であり、額が小さければ行う人は居るかとは思うが額が大きくなればなるほど寄付する人は少なくなると思う。

次に【購入】ですが、コレはサービスを購入するということだと思います。例えば『公園を整備するために出資して下さい!』と呼びかけ、その対価として綺麗になった公園で遊べると言うリターンがある訳である。この場合、お金を支払う人は誰かと言えば、公園が綺麗になる事が自身にとってプラスになる人が出資する訳である。例えば子供を持つ親であったり、小学校のPTAや近所の住民だったりするのだろう。

そして、最後に【融資】だが、コレはもうクラウドファンディングと言うか一般的な企業やよくやっているお金を借りたい企業側が事業を成功させるために必要な分の資金を調達するためのもので、これに関しては事業が成功すれば、出資者には成功した報酬が支払われるというもの。 ある意味では最も一般的なものであり、クラウドファンディングと言えば多くの場合はこの【融資】を用いる場合が多いのかもしれない。

…と、ここまで書いてみて、少し思った事があるのだが…。

限定品や話題の商品を購入したり、移動手段に車や電車を活用したり、楽しい趣味の時間にお金を使うといった行動は、どれも【自分】が行っている事なのだが、このクラウドファンディングにおいては「自分は何もしていない」のではないだろうかと思うのだ。

何かをしたい人が居て、その人の手伝いと言う名目でお金を払う。

自分がする事と言うのは「お金を払う」と言う行為だけであり、その結果のリターンは自分が行動して得るものではなく、誰かが行動した結果が現れるのである。

つまり、人は「自分以外にもお金を払う」のである。

これは勿論、誰かへの誕生日プレゼントや、取引先のお客様への手土産と言ったものでは無い。

コレは、言い換えれば自分が得る利益(メリット)を他人に任せるという事だと私は思うのだ。 これはちょっと面白いと私は思う。

例えば、自分が何かをしようと考えた時、それには時間もお金も掛かるし、何より自分があれこれ努力をしなければならないが、それらの時間も努力も、ほんの少しのお金を払えば他人が叶えてくれるとしたらどうだろうか…自分は時間も消費しなければ、努力もしなくて良い、成果は他人が勝手に挙げてくれるし、仮に成果が出なくてもリスクは最小限で済む訳である。

そう考えると、少し前に話題になり日本アカデミー賞にもノミネートされた、映画【えんとつ街のプペル】の原作者でお馴染みのお笑い芸人「キングコング:西野亮廣」氏であるが、彼はとても上手くやっていると私は思うのだ。

SNSなどでは「捕まっていない詐欺師」だの「宗教団体の教祖」だのと、多くのメディアから槍玉に挙げられ叩かれているが、彼の行っているクラウドファンディングに資金が集まる理由と言うのは、もしかしたらそこにあるのではないだろうかと思うのだ。


◆人は「実感」や「思い」にお金を払う。

今回の記事のまとめの様なものになるが、人は多くの場合は自分のためにお金を払い、何かを得る訳だが…

クラウドファンディングにおいては小額の出資で自分は何の努力もせず、誰かの成功に自分も手を加えたと言う「実感」が報酬として得られるという、そうした「思い」にお金を払うという考え方も出来るのだ。

当然だが、クラウドファンディングと言うのは話題性や信頼性がモノを言う投資な訳で、ただの一般人が何て事の無い企画を立ててクラウドファンディングをしたとしても資金など集まる訳が無く、ある程度の地位や、話題性、そして多くの人を楽しませる「可能性」の高い人に対してのみ資金はあつまる。 つまりこれらの条件を達成する可能性が比較的高いのが芸能人であり、それを上手く活用したのが「西野亮廣」氏だったのだと私は思う。

「大人気お笑い芸人」であり「絵本作家」であり「映画も作り」そして、その映画が日本アカデミー賞にノミネートされたとなれば、この男が成功する確率は、その辺の一般人の何て事の無い企画よりも圧倒的に高いのは目に見えた分かる訳で、人はそうした勝ち馬に乗りたい訳である。

自分は何もしないが、彼なら何か面白い事をするだろう。

そして、彼が成功を叩き出した時、その成功に自分も加わっているという実感が欲しいのだと言う話である。

そして、それに対して「詐欺師」や「教祖」だのと言う人達がある一定数存在する訳だが、彼らは単純にそれを「お金」として見ており、その先にあるものに対しては目を向けていないのである。

お金と言うのは目に見える数字な訳で、10円なのか100円なのかは数字を見れば一目で分かるが「楽しさ」や「喜び」と言った数字で表せない物に対してはその価値は理解出来ない訳で、その人それぞれ違う目に見えない価値に対して「高い」と見るか「安い」と見るかが、非難する人と、そうでない人の違いなのだろうと私は思う。

そもそも詐欺はともかくとして【宗教】と言うのは悪い事なのだろうか。

多くの人は宗教の事をよく知りもしないけれど、宗教と言う物に対してあまり良いイメージを持っていない人が多く、例えば「壷を買えば幸せになる」だとか「毎週必ず集会に参加すれば幸せになれる」だとかの詐欺集団の様なイメージを持っている人も案外多いのではないかと思う。

しかし、それはどうなのだろうか。

それは正しいと言える人はどれほどいて、それは間違いだと言える人はどれほど居るのだろうか。

良し悪しを決めるのは国の法律であり、自分自身の心の声だと私は思う。

私は別に宗教を否定するつもりはないし、同様に肯定するつもりもない。

けれど、宗教は悪であるかの様に決め付けている人間は間違いなく悪なのだと私は思うし、宗教は正しいと信じきって決め付けている人間も同様に悪なのだと私は思う。


◆最後に…。

何となく、勢いでここまで記事を書いてみて思ったのですが、人は目に見える物に対しての理解は出来ても、目に見えない物に対しては賛否両論、色々な意見が飛び交い、自分には何の関係も無い他人の行動にまで目くじらを立てる人達まで現れるのだなと、随分と勝手だな…と思ったり、思わなかったりです。

さて、ここで記事の冒頭のお話に少しだけ戻りますが…。

目的が果たせれば何でも良いのではなく、人はその目的の結果が少しでも良いものであれば尚良いと言う事なのです。

空腹の時にお腹を満たせれば何でも良いのか、美味しい物が食べたいのかと問われれば、やはり美味しい物が食べたいと応えるのが一般的だと思うのだ。

人は目的のためにお金を払う訳ではない。

人は【付加価値】に対してお金を払うのだと私は思う。

そして、それは数字ではない、目に見えないものであるが故に、あまり人には理解して貰えない物が多い。

それは「趣味」であったり「考え方」であったり「夢」であったり…。

それら目に見えない自分だけの価値に対して、人はあまり踏み込んではいけないのではないかと、私は思うのだ。


私は冒頭に書いた「ジッポライター」を嬉しそうに使っている人に対して『何故お前はそんな物を使っているのだ、ライターで十分だろ!』と言う様な人にだけはならないように日々心掛けている。


最後まで読んで下さいまして誠にありがとう御座います。

それでは・・・また次回の記事でお会いしましょう。





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