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死にたくておかしくなりそうになった日

気が狂うほどに死にたいと思った日があった。

一日中だったのか、あるいは午後からか、もしくは夜だけの事か、今では記憶が曖昧になっている。
だが、はっきりと覚えているのは「死にたい」という感情に支配された自分が居たことだけだ。

いや、正しくは自分というより完全に自分以外の何かが心にいるという感覚だった。″黒い形をした化け物のような何か″が私の心の中にいて、「死のうよ」と囁いてくるのだ。

私は、死にたくて死にたくて堪らなくなった。

堪らなくて、堪らなくって、生きている今が焦れったくて、そわそわして、静かに座ることが出来なかった。部屋をウロウロと徘徊しては、立って座ってを繰り返していた。

「今すぐに家を飛び出してどこか高いところから飛び降りるのだ。嗚呼、なんで今生きているんだろう。早く死にたい。嗚呼!死にたくて堪らない!焦れったい!!!」

ずっとこんな事を考えていた。
酷く、興奮していた。

何故飛び降り自殺なのかは、一番迷惑がかからずに楽に死ねる方法だと思ったからだ。駅ホームへの飛び降りは多額の賠償金を請求されることから、選択肢に含めなかった。面白いことに、死に方に関しては死後を考え冷静に判断していた。

同時に、私の心には自分では無い化け物への恐怖心と死んではならぬという理性があった。

初めての感覚に困惑していた。原因の心当たりも無く、理解が出来ない。
ただ、今の自分はおかしい、異常事態であることは認識できていた。

頑張って心の内の理性の欠片を集め、友人に電話し、死ぬことは免れた。
人と話しているとコミュニケーションをとることに意識が集中し、化け物が縮小しているように感じた。

その後しばらくは化け物を引きずっていたが、普通に生活できるようになった。

完全には消えなかった。今も尚確実に奴はいる。小さくなって、私の心の中に。

いつまでいるのだろうか、また大きくなったらどうなるのだろうかと思うと大きい不安感に襲われる。

死にたくて堪らなくなった日は、辛うじて存在していた理性によって事なきを得た。もし、衝動性があと少しでも高かったら死んでいた。人はいつ死に急ぐか分からないと、自殺について他人事のようには言えなくなった。

また死にたいと思った日に自分で記録を読み返せるように。

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