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珈琲を通してレトロの正体を探る

 「平成レトロ」という言葉が流行り始めた昨今、平成初期生まれの私としては予想より早い言われように「レトロな味」が少しでも自分に備わって来ているのだろうか、と焦りを隠せない。

しかし、人々がレトロという言葉を使って昔を懐かしみたいという気持ちは、私にもわかる。
外出が制限・自粛傾向にあっても、喫茶文化がじわりじわりと流行しているのは、その証拠なのではないかと思う。

珈琲への興味

 私が珈琲に興味を持ったのは、紛れもなくそこから古い雰囲気を感じたからだ。
転じて、その苦い液体からは"大人の香り"がする。
「この飲み物が美味しいと感じるって、一体どういうことなのだろう?」
そんな思いから、最初は好きでもないのに無理やり口に運んでは大人のフリをしていた。

 転機になったのは、ある名店でゲイシャ種の豆を飲んだ時のことだ。
ひと口含むと、苦味どころかワインのように芳醇で華やかな甘い香りが鼻を抜けて、身体中に広がる。
「これは、珈琲なのか?!」
想像もしえなかった世界を知り、イメージがガラリと覆ったことで、色々な珈琲を知りたくなった。

珈琲でできることとは?

それからというもの、さまざまな種類の珈琲を試し、一つの大切なことがわかった。
珈琲は、その豆が作られて液体となってカップに入るまでに様々な工程を経ており、その過程を工夫することによって、いろいろな「表現」ができるのだ。

 例えば、先に述べたゲイシャのように、薄明かりの下でゆったりと味わいたくなるような雰囲気を持つ、芳醇なワインの如くドッシリとした味。
はたまた、友達とワイワイ話しながらクイっと飲みたくなるような、フルーツの香りがする華やかでサッパリとした味…

これらはほんの一例に過ぎないが、このような表現を自分の気分によってその日の生活に取り入れることで、時間に彩りを与えることができる。
 ましてや、お店で豆を買って来て自分でドリップした珈琲が想像した表現通りにーー時には想像を超えるものがーー味わえた時、これ以上気分がアがることはない。

レトロの正体

結局、珈琲や喫茶文化は、その時そのお店なり、淹れる人なりが何を表現したいのかに興味があって行くのである。
だからこそ、「店の雰囲気」も重視されるのだ。
その世代を知らない人にとっては当時の表現が新たな体験になる。
その世代の人や、レトロが好きで知り尽くした人にとっては、自分の気分や気持ちと、レトロの表現が一致した時、来てよかったと思うであろう。
そうやって自らの時間を彩る演出をしているのである。

 これはもちろん、珈琲だけではなく物やファッションなんかでも似ていることが言えるのではないかと思う。
 今の感覚とは少し違うであろう当時が目指していた、あるいは感じていた表現はどんなものだったのか?
その興味こそ、「レトロ」の正体なのではないだろうか。

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