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正しさや正義は、暴力装置になりうる。

盛夫の朝の備忘録#673

おはようございます😊

昨日は、「1日もりお利用権」の御依頼でユミツエワンさんの御自宅のお庭の草刈りとお手入れのお手伝いに行ってきました😊

ユミツエワンさん、ご利用頂きありがとうございました😊

「1日もりお利用権」は、料金設定はありません😊
お金でも、品物でも、食事でもなんでも大丈夫です😊

私と繋がりのある人限定のお困り事のお手伝い。
身近な人を大切に、喜ばれるお手伝いがモットーの「1日もりお利用権」ですので、お氣軽にご連絡ください😊

活動報告は、FacebookのグループページとInstagramの方に投稿しますので、ご興味のある方は、申請して覗いてみてください😊

さて、私は、毎日を倖せに感じながらも、熊本や日本や世界では様々な現象や出来事が起きています。

では、私の感じているこの倖せは何なのか?

一言で言えば、私が影響を及ぼす範囲内の小さな領域での倖せであります。

大きな世界は、沢山の人達の影響が及ぼしあって成り立っている世界なので、そりゃ色々と起きてしまいます。

なんせ70億人もの人達の世界観がぐちゃぐちゃに混ざり合って成り立っているので、そりゃ色々な現象や出来事が起きます。

なので、正解なんかありゃしませんし、正義なんて私から見れば暴力装置にしかなりません。

善悪同一の世界であり、どちらも存在意義があり、協力して均衡が取れてるから、存在出来ていると私は感じています。

多様性を謳うなら、寛容で有れば良いのですが、寛容が産まれた瞬間から、不寛容も同士に産まれてしまいます。

「寛容であらねばならない」という寛容に対する不寛容な想いが芽生えると言う謎が生まれてしまいます😅

どうしたものか、対極なのにどちらかが存在した瞬間から、お互いが均衡を保つように対極が産まれて、均衡を保つ機能が発動してしまう。

善悪同一で、善は悪があるから定義できて、悪があるから善が定義出来ると言う謎かけの様な世界で、70億人もの人が地球で暮らしています。

ブスがいるから美人の価値が生まれる。
でも、ブス専とかデブ専なんかも存在してるから、そちらの価値もちゃんと存在している。
益々ようわからん世界です。
まさに不思議な世界です。

神や霊を信じても信じなくても人は生きていれるし、存在も出来ている。

私の場合は、実体験があるので霊も神も信じています。

何を信じて生きているかで、人の生き方や状態は全く違います。

ですが、どれが良いとかはありません。

そもそも多様性の世界なのに、思想を統一しようとする考え自体が烏滸がましいのですが、実際にそんな統一思想を振りかざす事を企んでいる人や団体や国が存在しています。

正しさや正義と言うものに、人は魅力を感じます。

正しさや正義を手にすると「大義名分」を同時に手に出来て、攻撃しても正当性を感じるから、攻撃する事に対して、自分を赦してしまう効果があります。

そう言う意味で、私は正しさや正義は、扱い方の難しい暴力装置だと感じてしまいます。

結局は、善悪同一であり、聖悪同一であり、正悪同一なんだと私は感じてしまいます。

正義を手にすると、攻撃する事に「大義名分」が付与される。

ヒーローなんか、まさにソレなんですが、ヒーローが存在してる時点で、なんかおかしいんです。

人は、自分の内側に正当性を保つ為に、外側の世界に悪を創り出して、悪を演出してしまいます。

そもそも多様性な世界なのに、正義だ悪だと色付けして、烙印を押して、差別して、自分の優位性を表す。
そういう事も私は、人の習性の一面なんだと感じています。

人の習性は、個人によって違うし、1人の人でも内在する面は多面体の要素を持って産まれています。

自分は変わらないと言えば、そう見えるし、自分は変わると言えばそう見えるものです。

どちらでも選択は自由なんですが、選んでおいて外側の世界に対して不平不満を撒き散らしても、意味はありませんが、不平不満を撒き散らす人は後をたちません。

外の世界を変えたければ、自分で考えて行動に移せば良いのです。

そう言うと、不平不満を表す事も行動になりますがね。

地球は行動の星であり、行動する為に出来た世界観だと感じます。

もし本当に世界を変えたければ、選挙に立候補するとか、公務員になって行政に関わるとか、裁判を起こすとか、直接的に行動に移せば良いのですが、中々やる人はいません。

まあ〜実際に行動に移すって怖いですもんね。
私も行動に移すのは、怖いです😅

「恐れ」が存在する事で、世界は均衡が取れているのですが、因みに「恐れ」の対義語は「侮る」なので、侮っているから色々な事に飛び込めたりします。

とはいえ、侮ったり無知だから飛び込めたりしますが、知識を学び、その世界を知っていて、尚且つ飛び込める人は、勇氣のある人だと尊敬されます。

おそらく本人は、それでも好きだから、勇氣が湧いてきて飛び込めるんでしょうが、最終的に自分の好きな事をやった方が樂しいものです。

辛かろうが、苦しかろうが、生きているから、しょうがないのです。

でも、何故苦しいかをちゃんと考えたら、自分が選んで積み重ねてきた事に氣付けた瞬間に、自分の愚かさを知ります。

人は、愚かさを必ず抱えて生きています。

その愚かさを素直に認められると、自分が可愛いく感じます。

そもそも地球は、多様性の世界なのですから、元から変な世界なんです。

だから、正しいとか正義なんか、一方的な物差しでしか存在せず、多面的に考えると、どちらでも無いのです。

ただの現象でしかありません。

その現象を許せるかどうかは、個人によって全く違ってきます。

そもそも多様性の世界なので、人によって見え方や感じ方がまるで違います。

生理的に無理って言葉がある様に、無理なものは無理なんです。

それを無理に受け入れると、おかしくなります。
人によっては、病氣になります。

何事にも段階があり、浸透するまで時間がかかるものです。

その時間を耐えて、初めて乗り越えられるモノです。

體の変容にも時間が必要だし、氣持ちの変容にも、時間が必要なんです。

私は、2年半の時間をかけて、変容を繰り返す事が出来ましたが、体験出来た事に無駄はありませんでした。

なので、想ったのですが、正しさや正義と言う幻想に取り憑かれてると、後悔して死ぬ事になります。

結局、最後は私も含めて皆さん死ぬのですから、死ぬまでの時間をどう使うかは、自分次第です。

私は、実現出来るかわかりませんが、どうせ死ぬんだから、私の夢の実現の為に生きる事にしました😊

皆さんはどう生きますか?

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

皆さんに感謝しています😊
皆さん御自愛ください😊
良い1日を😊

日日是好日😊
2023年10月4日(木)
神無月、秋分、水始涸。
松合より😊

写真は、昨日御依頼いただいたユミツエワンさんとのツーショットです😊
「1日もりお利用権」ご利用頂きありがとうございました😊

ユミツエワンさんと私😊


ユミツエワンさんが出版された本。
「チベット曼荼羅への道」

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