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趣味は趣味のままで置いておくほうが良い

みなさんの趣味は何ですか?

僕は、読書が好きです。また海外サッカーや将棋も好きです。といっても、サッカーの試合を見たり、将棋を指すわけではありません(たまにはしますが)  結果をチェックしたりするだけです。

毎晩、ヤフーニュースで欧州サッカーの記事を読んだり、YouTubeでプレイ集の動画を見たり、今日のプロ将棋の結果を確認したりしてます。あまり労力がかからない趣味です。

さて、一体何を言いたいのかというと、つまりは次のことです。

「趣味は趣味のままで置いておく方が良い」

◇◇◇

たまに、こんな気持ちに襲われることがあります。

「もっと工夫してやった方が良いのか」

例えば、サッカー観戦だったら、もっと試合を見たら、理解が深まるだろうか、とか。

読書だったら、本の内容を吸収するために、読み方を工夫してみよう、あるいは、得たことを定着させるために読書感想を書いて見よう、とか。

だけど、そういう努力は、ぼくにとっては負担となることが多かったのです。

確かに、僕は欧州サッカーが好きですか、WOWOWに入って試合を実際に見よう!とは思いません。確かに、もっと欧州サッカー通になるには、試合結果を見て、また記事を読むだけではなくて、試合を観戦しないといけないのでしょう。だけど、ぼくにとってそれは、コストが大きいのです。楽しむよりも先に疲れが来てしまいます。

読書に関してもそうです。

「読書をただ楽しむだけではだめだ、読書を自分の長所にしよう」と思うと、それは趣味ではなくなってしまいます。目的が変わってしまうのです。 

将棋も、「もっとプロ将棋を楽しむために、これからは夜の30分は将棋の戦術を勉強しよう」とした時、それは毎晩楽しめるような趣味ではなくなっているのです。

つまりは、楽しむことだけではダメで、向上することも必要だと感じると、好きだったはずのコトが、好きじゃなくなってしまうのです。

夜のささやかな楽しみだったことが、いつのまにか、負担に変わってしまうのです。

もちろん、ひとによって違うとは思うのですが。

◇◇◇

工夫することの大切さは分かります。

趣味も突き詰めれば、特技となります。趣味を突き詰めて、それが結果的に仕事に結びつく人もいるでしょう。だから人によってよっては趣味であっても、向上心を持って取り組む人もいます。もっと知りたい、もっとやりたい、と。

でも僕の場合、趣味に関して言えば、それは当てはまらないのかも知れません。


「目的」

それを何事もはっきりさせる必要があります。

趣味の目的とは何でしょう。

僕は趣味の目的とは楽しむことにあると思っています。趣味を通して、リラックスすること。日々の疲れを癒すこと。心からやりたいと思うこと。

そして、無目的に楽しむこと。

趣味とは、ありのままの自分が、100%楽しむことが理想的だと思います。そこには「趣味を通じて○○を達成する」と言った目的があるわけではありません。

もしかしたら、目的なしでやることが、100%楽しめることに繋がるのでははないでしょうか。


しかし、そこに目的ー例えば、もっと極めて自分の長所にしたい、この分野で秀でたい、仕事に結びつけたい、などを持つと、趣味の持つ意味が変わってしまう気がするのです。


朝型の僕は、起きた時は向上心で溢れています。「もっとやりたい、もっと詳しくなりたい」そんな時は、自分の成長に繋がることが、何よりも喜びに感じます。

でも、疲れて帰って迎える夜はそうではないのです。その時求めているのは癒し。心から楽しめる趣味なのです。そこに、向上心や成長欲が介入すると、楽しいハズのことが楽しめなくなります。

だから、趣味は、それを突き詰めようとか、思わずに、自分が好きなようにやればいいと思います。「〜べき」とか「〜しなければならない」とか、そんな義務に一切縛られることなくできるのが「趣味」だと思います。


好きなコトをするということは、いま自分が生きている意味を作り出すことだと思います。

だから、趣味は趣味のままで置いていて良いのです。



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