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辛い時は空を見上げよう

「上を向いて歩こう、涙が溢れないように」

僕はこの歌詞が好きだ。

カーナビに入れていて、運転しながら、事ある毎に聞く。

人生には、悲しいことが多い。自分ではどうしようもならないことが起きて、翻弄され、何でこんな目に遭うんだ、と親やら神や過去の自分やら、そんな者たちのせいにしたくなる。

だがそれは突き詰めて考えたら、自分の外見のせいであり、自分の性格のせいであり、自分の能力のせいである。

と、自分に厳しい考えをぶつけて、強い人ぶってみるが、やはり心は悲しいのだ。


いっそのこと、感情がなくなれば良いな、と思う時がある。仏教を作ったブッタは、元々はどこかの国の王子だった。

不自由ないはずの生活をしていたはずの彼は、ある時その地位、その財産、その安泰を捨て、1人で旅に出る。彼は、「人は欲を持つから苦しみがある」と考えた。

人は自分のことを、他人から認めてもらいたい、関心を持ってもらいたい、と思う。だから、認めてもらえなかったり注目してもらえなかったら、落ち込み、不安になる。

人は自分のことを価値ある人物であると思いたい。だから、その理想との差に失望し苦しむ。

人は常に何かを手に入れることを望んでいる。だから、常に乾いている。

ブッタは、欲を捨てることでこの世の悩みはなくなると考えた。言い換えれば、何も望まず何も期待しないということだ。

そして、常に目の前にあることだけを捉えようとした。今の自分、ありのままを受け入れる。

それを「悟り」と呼んだ。


これを知ったとき、衝撃が走った。何て、厳しくて、美しい考えなのだろうと。

しかし同時に、二つのことを理解した。

一つ目は、この境地に達するのはすごい難しいということ。この道に入るには、あまりに多くのものを捨てる必要があるのだ、と。

二つ目は、望みを捨てなければ、悩みがなくならないのであれば、悩みがあるからこそ、望みがあるのだということ。

悲しみがない人生には、喜びは存在しないのだ。


◇◇◇


結局、どんなに辛くても悩みとは付き合っていかなくてはいけない。人生、良い時もあれば悪い時もあることを受け入れないといけない。

心が張り裂けそうになる苦しい時は、ただ空を見上げる。いつもそこにあって、だけど同じ瞬間は二度とない空を見上げる。

僕が仮に空の雲を動かしたいと思っても、動かすことは絶対にできない。ただ雲が流れていくのをじっと見ることしかできない。溢れてしまったミルクはもう戻らないのと同じで、覆水が盆に返らないのと同じで、そのまま全てを受け止めるしかない。

もし自分が死んでも、空は今と変わらず、ずっとそこにあり続けだろう。そう思うと、自分はちっぽけな存在だな、と思い、(良い意味で)どうでも良くなる。


辛い時は空を見上げよう。

そして、歩き続けるのだ。

それが、人生なのだから。






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