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どれだけの美しい言葉を知って死ぬか

文章を読んだり、会話したりすると
使う言葉からその人となりが垣間見える、と思っている。

だからエッセイや文章を読んで、言葉の使い方や言葉の選び方が好きだなと思ったら、それはもう私の好きな人です。

人から出てくる言葉は、きっとその人の世界そのもので
その言葉の中にいろんな感情や過去、未来が含まれているように思う。

強い言葉を話す人はきっと確固たる自分を持っている、意志の強い人だろうし、やわらかで丁寧な言葉を使う人は相手をきっと他人を慮ることができる人だと思う。
一言で「強い」や「丁寧」といっても、内在するものは複雑で、丁寧な言葉を使うけれど、逆に丁寧さが、心の距離の表れと取る人もいるでしょう。
言葉を使う人と受け取る人の分だけ、そこには情報と解釈がある。

言葉はきっと私たちが使う最も身近な表現方法なんじゃないだろうか。言葉にするということは、何かしら伝えたいことがあるということ。
言葉を酌み交わしたい、言葉で語り明かしたいと思っているのかもしれない。でもそれは一方的なものではなく、対話として成立するものであれば。


美しい言葉を使う人はきっと、美しい人なんだろうと思う。
何を見て何を知って、どう考えるのかどう生きている人なのか。
その人の今までの積み重ねが美しいのだと思う。

こんなふうに顔を合わせず、文章だけであなたに話をするということは、今私がかく文章に、「わたし」というものをいかに乗せるかだと思っている。
それはきっと文字から読み取れる「人間らしさ」や「温かさ」なんだろう。

そしてそれはきっと、文字で顔が見えないからこそ、わかる部分でもあると思うから。

どれだけ美しい言葉を知って死ぬか。
どれだけその言葉を伝えられたか。


最近ひとつ、私のやりたいことがまた増えました。
いや、でもやりたいことも知りたいことはたくさんあるのですが、追々書いていこうかなと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
ではまたいつか。

えみか


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