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看過できないと思ったこと(2)~質問に対する回答と私の想い~

前回、ゆい@mrr_nn さんのツイートについてnoteに投稿しました。

こちらの記事を読んでいただいて質問をTwitterで投げかけてくださった方がいました。内容が長文でしたのでTwitter上では回答しきれないと思いましたのでnoteへの投稿で代えさせていただきます。かなりの長文になりますので何回かに分けて読むなど気軽にお読みいただけたらと思います。

質問者は、やすくん@nakimoi さんです。私はこの質問は率直に疑問を投げかけて下さっていると感じましたので、私がわかる範囲でお答えしたいと思います。

質問全文

ツイートをつなげたものがこちらになります。
①問題点1について、なぜ「たくさんの人目についてはダメ」なのか?
 子供や外国人が目にする場所に今回の広告は不適切との事ですね。
 今回の広告の女性画像は服を着た巨乳女性の胸像です。肌はおろか下着すら見えていません。この広告が規制されるような社会は、子供達が「胸が大きな人が人目に付くのは恥ずべき事なんだ」と思う危険性があります。胸の大きな女性は全く恥ずべき存在ではなく、胸の大きさに関わらず往来を自由に出歩ける社会こそが平等な社会だと思います。
 また、外国人についてですが、少なくともニューヨークには女性の水着姿の大きな屋外広告があったはずです。ビキニ姿なんて今回の広告よりよほど性的な画像です。探せば世界中で見つかることでしょう。

②問題点2について「見た人が尊厳を傷つけられ、不快になる」ため問題との事でした。
 まず「公共の福祉」に反しない限り、誰しもが職業選択の自由があるため、個人が自分の意思で身体を商品として売り出すことに問題はありません。問題があるとすれば、つまり「公共の福祉に反している」ということになります。日本では女性の乳首や男性のペニスを露出することは判例により多くの迷惑防止条例や軽犯罪法に違反するため「公共の福祉」に反していると考えるべきです。ただし、印字された服を着た巨乳女性は罪に問われませんよ。公共の福祉に反しないなら、後はモデルの人と広告代理店の表現の自由の範疇内であるはず。
 さらに内閣府男女共同参画局が出しているとされる指針は現在取り下げられていますので、無闇に根拠にしない方がいいですね(埼玉県のは知らないが)。理想のプロポーションを押し付けられているという点については同情はします。ただ、女性が思っている程、男は女性の胸の大きさにこだわりません。形とかの方が大事です。そして、胸が大きな女性がそれを「売り」にすることはマッチョな男性がその筋肉姿を「売り」にしたり、細身のジャニーズがそのアマイマスクを「売り」にすることと何ら変わりません。
 街中には渋い髭を生やした俳優がコーヒーを宣伝し、顔立ちが整った韓流スターがCMをしています。でも一般の男性はそれに憧れこそしても、それを「理想のプロポーションの押しつけ」だとは思いません。みんなちがってみんないいという事を理解してるからです。
 てか多くの女性もそんなことで女優やアイドルを叩かないと思いますよ。
「胸が大きい」=「優生」だなんて危険な思想をしているのはむしろあなただと思っています。私はあなたのノートを読むまでその発想がありませんでした。胸が大きくてそれが自慢の女性はどんどんアピールしたらいい。
 胸が小さいけどそれ故に浴衣とか似合う女性はそれをどんどんアピールしたらいい。そういう「自由」を女性から奪わないであげてください。

以上が やすくん@nakimoi さんから頂いた質問とご意見です。

お答えします

①の質問は、あの看板がなぜ「たくさんの人目についてはダメなのか」です。
その理由は、女性の体の一部を性的な意味で切り取って誇張しているように見えるからです。不特定多数が目にする場所ですから受け手がどのように受け取るのかに配慮する必要があると思います。
あの看板では性的メッセージだと取られる可能性は高いのではないでしょうか。どのようにすればよかったのか。

私は、彼女の上半身、顔まで見えるようにすれば、まだその状況は少し緩和するように思いました。なぜかというと、そこにその女性像が見えるから。そのようにすれば写真を通して女性の人柄を感じることができます。バストだけと比べて女性を性的に晒しているようには見えないと思います。
体の一部だけ(今回はバスト)を切り取って表現した場合、それは女性の人格が無視されたように映るのです。そして、それは同性である自分の人格も無視されているように映るわけです。それがこの看板が少なくない女性にとって違和感、嫌悪感を引き起こすと考える理由です。誤解してほしくないのは、発信側のことを問題にしているのではなく、受け手側がどう感じるのか、そこに配慮して発信してほしいということなのです。

①の質問と②の質問両方にかかる回答になりましたので、あとは関連するものでまとめた回答にさせていただきます。

「公共の福祉」について

やすくん@nakimoiさんは、次のように言っています。
まず「公共の福祉」に反しない限り、誰しもが職業選択の自由があるため、個人が自分の意思で身体を商品として売り出すことに問題はありません。

これは若干正しくないと思いましたので「公共の福祉」について解説していただいているサイトから引用させていただきます。

こちらで、言っているのは「公共の福祉」とは「ある人の表現の自由vs別の人の名誉権やプライバシー権」のように、人権と人権が衝突したときにそれを調整するために考えられたものです。

そして次のように言っています。

「公共の福祉」による人権制限の問題を考えるときには、対立する利益をつねに具体的に考えなければなりません。「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのか」をしっかりと意識しないと、「国益」というような抽象的なものでの制限を許してしまいかねないからです。

ここでは「国益」という言葉が使われています。そうなんです。「公共の福祉」とは、国家権力から国民を守るために制定された日本国憲法が生み出した言葉であり、国家VS国民の権利を考えるための言葉だと思います。ですので今回の件では少し違うかなと思いました。

優生の考え方について

こちらについては申し訳ありません。私が主張しているという趣旨ではなく、何か似ているなと思ったことを記述した程度のものです。主観的なことなのでそう思ったのね、ぐらいに受け止めてください。

一つお伝えするとすれば、「胸が大きい」=「優生思想」とは全く考えていません。私の考え方をお伝えする意味で書いておきますね。

私が言いたかったのは、女性のスタイルの理想と男性のスタイルの理想があって、それ以外は認められないというような世の中の風潮が「優生」の考え方に何か似ていると思ったのです。それは男女限らずです。
以下、かなり本題から延々と外れてしまうように見えると思いますが、私は同じことだと思っているので長文失礼します。よかったらお読みください。

かわいい、きれい、スタイルいい、きれいな肌、色白、器量の良い(この表現については大いに言いたいことがありますがまた何かの機会に)、高身長、低身長、胸が大きい、ウェストがくびれている、小尻などなど。

イケメン、高身長、マッチョ、細マッチョ、きれいな肌、褐色、色白、ごつごつした手、たくましい胸板や腕、などなど。

これらを見てどのように感じますか? 個人の好みもありますが、理想的でみんなこういう風になれるのを目指したいという気持ちになりますか?
それとも、こんな風にはどう転んだってなれないから見るのも息苦しくなったりしますか?

今の社会では外見について理想の男性像、女性像があり、様々なメディアでも大概これらの要素が含まれて発信されることが多いと思います。美人アナウンサーと言われたり、バストが大きいアナウンサーがもてはやされたり。

そこで一つ考えてみてください。男性の理想像(外見)と女性の理想像(外見)が求められる機会の割合はどちらが多いでしょうか。メディアや雑誌、ファッションやショップのディスプレイ、学校の友達間の会話、親子の会話・・・

私は圧倒的に女性に対する要求が大きく、しかもそれが四六時中続いていると思うのです。それらのほとんどは悪意のない普通の価値観として私も含めて多くの人に刷り込まれている価値観ではないかと思います。意識していないから、そのことが問題だということも気付かないだけです。女性が感じている息苦しさ、呪いはそういうところからきているのです。(この辺は優生という視点からは蛇足なりますね。すみません。)

優生とのかかわりについて私が感じているのは、その理想から外れた人に対して、罵詈雑言を投げつけたり、家族であれば、からかったり、ばかにしたり、することだってあるということです。顔のバランスがちょっと悪いだけ、ホルモンのバランスの悪化でどうしても体重が増えてしまっただけ、子供のころの病気が原因で身長が伸びなかっただけ、心の病で食べても食べても吐き出してしまうだけ、乳がんになってしまい、乳房を片方切除しなければ生きられなかっただけ、子宮がんになってしまい、子宮切除をしなければならなかっただけ、交通事故や糖尿病を患い、生きるために切断しなければならなかっただけ。

普段見聞きする機会がないだけで、このようなことはたくさんあります。理想やいわゆる普通といわれる状況から外れてしまったら、この社会でどう生きて行ったらいいか。今の日本はとても「そのままでいいよ」と受け入れてくれる社会とは言い難いと思います。

乳房や子宮を生きるために切除したら、夫から「お前はもう女じゃなくなった」と言われることを想像してみてください。

この流れが優生思想とも似ていると思った理由です。理想から外れたら排除する、役に立たなければ排除する、生きている価値もないという考えに、私は真っ向から異を唱えます。


最後に

私が日ごろからお世話になっている&尊敬している
コペルくんwithアヤ先生@Girls_Study_com の note もよろしかったらどうぞ。

前回の繰り返しになりますが、大切だと思っているのでまたまたご紹介です。
人には生まれながらにして人権があります。人の数だけ人権とその個性があります。東ちづる /Get in touch@ChizuruA1 さんが進めている「まぜこぜの社会」、これが目指したい社会です。


やすくん@nakimoi さんへの回答というつもりが、いろいろな思いが一気にこみ上げてかなり長文&蛇足になってしまいました。申し訳ありません。

私自身は自分をフェミニストと意識していないのですが、共通する部分がたくさんあります。
Twitterでは、140文字制限があるために衝動的なつぶやきのまま終わることが多く、それが誤解を生じさせていることにもつながっていると思います。

フェミニストの皆さんがなぜ、声を上げているのか、知る、考えるきっかけになったらいいなと思います。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


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