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うちにないもの③テレビ

一昔前は、テレビがあることが当たり前だったり、大きなテレビがあることはステータスでもありました。私が小学生だった頃はブラウン管の厚みがあるタイプのテレビでしたが、どんどん進化して高校生になるころには液晶の薄いテレビが壁掛け出来るようになってゆきました。

テレビを付けていると

あの頃は、面白いアニメを見たい気持ちがあったり、話題のテレビドラマを見たいという気持ちがあったり、少し大人になるとニュースを見て世界情勢や政治情勢を勉強しようなどと思うようになりました。

20年も前の内容と現在の内容では、同じ部分も変わった部分もあるかもしれません。ただただ笑えるバラエティー番組ならばまだ良いのですが、昨今はは特に不倫の話題で盛り上がり、ここ一年程はコロナがいかに怖いのかやどの制度がどう良くないのかなどで持ち切りでした。

実際に海外へ行かずともSNS等でも簡単に海外と繋がりやすくなった今、日本の守るべき古き良きものもありますが、刷新するべきものもあるでしょう。それは、「みんなが同じであるべき」という考え方に他なりません。何故ならそこから派生する「正解は一つしかない」という教育へ繋がるからです。

1+1=〇
〇の中に入る数字はいくつでしょうか

愚民を育成するには正しい教育方法でしょう。今までは声を大にして言えませんでしたが、これから風の時代に入ることもあって申し上げますと、これはもはやパワハラとも言えるのではないでしょうか。何故なら、この問題の答えに選択肢はないからです。

〇+〇=2
〇の中に入る数字はいくつでしょうか

答えは無限大にありますし、シンプルに1という答えも成立します。法則の理解だけでなく、想像力の育成、そしてどの場合にどの答えが適切であるかと考える力を育てることも。自由だからと言って統制が効かなくなることは決してなく、むしろ圧力をかければかける程、圧力がなくなった時の反動があることを覚えていた方が良いでしょう。

私自身はどういうタイプだったか

土の時代に生きるには、かなりシビアな性格でした。というのも、いわゆる勉強においてもそれ以外でも「なんで?」を連発していたからです。私の「なんで?」に対して、私の納得するような答えを出せない親(時には先生)は結局、「そういうものなんだから覚えなさい!」と。

もし、土の時代に適した性格だったら困難はなかったはずですが、自分では納得出来ないことを親に命令され、それに従う他選択肢がないという状況は、私にとっては非常に息苦しく、やる気を削ぐものだったのです。更に発展すると「誰に育てられてると思っているの」と親の揺ぎ無い権力を行使する…。その時代は、聞き返したりせずに従うことが良い子供とされていたのです。私は、物分かりの悪い、良くない子供でした。親にも他の〇〇ちゃんは、優秀なのにと言われたりしていました。

誰かのせいだとは思わない

考えることではなく覚えることがメインの勉強に、私は全く興味を持つことは出来ませんでした。今思えば、あの時もう少し考えることを許容してくれたら、もっと勉学に励んだのだろうかと思ったこともありました。
しかし、それは一つの時代の流れであり、我々人間は常に時代のどこかしら短期間を生きています。その時代にマッチする性格しない性格、少ない努力でうまく生活する人間がいれば、多く努力しても報われない人間もいる。それ自体に意味はないように思います。

ただ、唯一言えるのは、あの時から時間を経て、今次の時代に差し掛かっているという情報を知る前から、不思議と「これからは立場が逆転してゆくだろうな」と感じており、それが風の時代到来のタイミングであることを知った時に点と点が繋がったように感じたのであります。

2000年以降から徐々に変化していた

今までは出る杭は打たれていました。もちろん今でも多くの場合において出る杭は打たれやすい風潮が特に日本では残っていますね。
しかしながら、特に2000年以降バックパッカーで正解一周をして有名になった方がいたり、人とは違う道を辿って何かの職業についたり、誰も研究しないような実験を行って注目を浴びたり、思いもしないような破天荒とも言えることをやった人が好意的に評価されるようになってきたのです。

例えば、音楽でもその流れを垣間見ることが出来ますが、1990年代までは絶対的なヒットの法則のようなものがありました。それを崩したのが、宇多田ヒカルを皮切りに出てきた個性派の歌手たちです。彼らは今までの系統を少し崩したり、大胆に崩したり、完全なる個性で勝負していたり。だからこそ一発屋も多かった。しかし、このことは様々なタイプのもの(音楽)が自由に受け入れられつつあることを意味しています。

悲報と朗報

テレビがあることのメリットがあった時代も確かに存在したでしょうが、残念ながら風の時代にテレビという概念自体が、特に日本においては時代錯誤になりつつあるようです。というよりむしろこのコロナ渦で、急激にテレビによるデメリットが表面化してきています。そのデメリットというのは、スポンサーの意向というフィルターを通した情報を反復して放映するという、紛れもない洗脳行為を受けることです。
そう、まず最初に理解しておくべきなのは、テレビで放映される内容は、一部の人間の意図によって都合の良い部分は放映する・都合の悪い部分はしない、更には言葉の端々には味付けをされた後のものだということです。今までテレビを主な情報取得元としていた方には悲報でしょうか。

昨今の所謂コロナ渦で、テレビを付けていると毎日何十回何百回と耳にする言葉たち。朝から晩まで繰り返し聞いていたら、気付かぬうちに洗脳されてしまうのは当然のことではないでしょうか。しかし実際のところ、学者や医者はCovid-19について分からない部分が多いと言っているだけです。それにも関わらず、テレビではマスクはマナー・マスクはワクチンだとか、宇宙に届きそうな勢いで飛躍した文言が多々伝えられ、字幕に表示されているのです。

コロナの収束を願っていな方はいないでしょう。では、願う以外には具体的に何をしているのでしょう。一刻も早くコロナを収束させる一つの方法として、テレビを見ないことです。又は、情報の脚色が最低限だけされたニュース番組にとどめて、司会者とコメンテーターが延々と議論を続けるような番組を見ないこと。その時間で食生活の見直しや免疫力向上のための学習などを始められてみてはいかがでしょうか。これはコロナに振り回されない暮らしへの希望の光という意味で、朗報ではないでしょうか。

安全な情報を得ること

情報過多の時代、どの情報を信じたら良いのかと振り回される人々が非常に多いです。テレビやインターネット・SNSなどから様々な情報が垂れ流されていますが、知りたいことに関しては垂れ流されているもの以外にもご自身で収集してゆくと比較対象が多く見つかるはずです。最終的にはご自身の取捨選択となりますので、参考情報を多く集めるようにされてみると納得の決断が出来るのではないかと思います。

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