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米津玄師「サンタマリア」がファンのことだと思う10の根拠

 前回の記事、「米津玄師が見つめる先にいるのは誰?サンタマリアの意味とは?」で、”サンタマリア”とはファンのことだと書いた。そう思った根拠を前記事との重複を承知の上で、今1度正確にトレースしておきたい。

 言うまでもないが、この解釈は米津玄師を研究する過程において、私に去来した個人的な「結論」であり正解でも何でもない。ましてや、この解釈を押し付ける気など毛頭ない。

「サンタマリアとは誰か?」の解釈・考察は数多ある。

・新たな道を歩き始めた自分自身
・メジャーに導いてくれた事務所社長
・架空のもしくは実在の恋人
・文字通りの聖母・神のような存在
・バーチャルな2次元キャラ
・生まれたての子供 などなど

 リリース直後のニコラジ出演時、米津はサラッとこの曲は「恋愛の歌」で「女性のことを歌った」と言っている。

 しかし、ナタリーのインタビューでは「何事においても至らない人間である自分が、明るい、光のある方向に向かっていくために、音楽に引っ張っていってもらおうと。その曲の歌詞を歌うことで自分もそういう人間になっていこうと思って作った曲」と語っている。

 そして、2年以上を経た2015年のRockin'onJAPANで、高機能自閉症とうつ病であったことを告白し、「自分は誰かのために音楽を作りたい。(中略)使命というかそれ以外に選択肢が全くない状態だった。自分は「サンタマリア」みたいな曲を作るしか生きる道は全く残されてなかった。」と苦しみのどん底にいた当時を振り返った。

 この全てに嘘偽りはないだろう。本人が意識してるどうかは不明だが、”サンタマリア”は多重の意味を放つプリズムのような曲なのかもしれない。

サンタマリア制作の背景と位置付け

*カギカッコ内の太字はインタビューでの本人の発言

 サンタマリアは、diorama(2012年5月発売)の制作時からずっと鬱状態だった米津が、「音楽に救ってもらおう」と同年から制作し始めた曲である。

「自分がやれることを見つめ直さなければならないっていうことを、凄く考え」「自分の中の思考とか哲学みたいなものを一度分解して、再構築させるための1曲」であり「作らざるを得なかった」のだと言う。

 つまり、この曲は「意思表明という意味合いがすごく強くて。自分の進むべき道を示す指針」だったのだ。

 しかし、本人が”どこも修正するところがない完璧な曲”と言う一方で、この曲で「音楽的に満たされることはなかった」。

「それまで自分の音楽性を好きでいてくれた人たちには望まれていなかった部分があることも肌で感じて」「1から1000まで、全部わかり合えることはあり得ないっていうことを再確認したんですね、”サンタマリア”で」と諦めとも達観とも取れる発言をしている。

 カップリング曲が”百鬼夜行”と”笛ふけど踊らず”であることからも、完全に割り切れてはいない葛藤が見て取れる。

歌詞とMVから紐解く10のキーワード

1:一枚の硝子
 これは「人と人は分かり合えない」と言うネガティブとも取れる意味と、以前の記事の最後でも触れた「余白があるから最良の関係でいられる」と言うポジティブな意味の両方を含んでいる。

 ”サンタマリア”発売直前、2012年3月のブログに、より鮮烈に1枚の硝子の必要性を綴っている。

「恋愛や友情のような他者との繋がりとは、呪いのようなものでもある。
干渉し合ってしまえば最後、言葉や触覚や体温が情報として体に住み着き、いくら拭おうとしても拭えない。」

 1枚の硝子を挟んだような距離感はこの頃から一貫しており、近年のライブMCでも「俺はみんなと友達にはなれないけれど友達以上の関係を築くことができる。」とその重要性を繰り返し訴えている。

このMCの後に続く「もっと俺に歩み寄ってきてほしい。俺から歩み寄っても意味がないんだ。」は、彼の存在意義、ミッション、ファンへの想いなど、多くの示唆に富んだ極めて重要な一言である。(これについては後日独立した記事にしたい)

2:面会室
 米津とファンはいつでもどこでも会えるわけではない。まだ、ワンマンライブをやっていなかった当時、「面会室」と言えるのはTwitterだけだった。

 ツイキャスやリプ返しで”あなたと僕は決してひとつになりあえないそのままで話をしている”のだ。ライブが行われるようになってからもそのスタンスは変わらない。

3:呪い 
 ”呪い”について米津は下記のように定義している。
「トラウマだったり、環境による偏屈な物の考え方だったり、そういうものを総称して呪いって呼んでるんですね。たくさんの人が呪いを受け取りながら生きてると思うんです。」
 
 
自分だけでなく、”呪いにかけられているであろう多くの人たちに向けて何ができるのか?”の最初の回答がサンタマリアであり、この曲を含むアルバム「YANKEE」であり、後に明確に”大きな船”となって大海原に漕ぎ出した「Bremen」なのだ。

4:ふたりで
 
前回の記事でも書いたが、米津のファンが何十万、何百万といようが、彼にとっては「1人(自分)対 ○○万人」ではなく、「1人対1人が○○万通りある」と言うことだと、fogboundのMCで語っている。

 これは、2011年の東日本大震災の直後に、米津が尊敬していると言う北野武が手記に書いた「この震災は”2万人が死んだ一つの事件”ではなく”1人が死んだ事件が2万件あった”と言うことだ」に感銘を受けた発言ではないかと思う。

 2017年のブログでも「右から左に左から右に通り過ぎていく一人一人の内側に、数十年分の経験と記憶がギチギチに詰まっていることを想像して、その膨大な情報量にクラクラしていたこと。」と書いているように、米津はファンひとりひとりの人生を決して見落としてはいないのだ。

5:紺碧の仙人掌
 唐突にさえ感じられる”紺碧の仙人掌”とは何か?実は使用している漢字は違うが「金碧(コンペキ)」と言うサボテンの品種が実在している。

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 太く長い針が特徴的だが、この針は外側に突き出さず、内側にカーブを描き本体を包み込んでいくらしい。まるで自分の身を守るようであり、自分自身を突き刺していくようでもあり。。。

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 米津は2012年7月のブログで「金碧のさぼてんを見た」と記している。それ以上は言及せず、ただ一言そう書いていた。ちょうどサンタマリア制作時期と一致する。

 そして、1枚のガラスを崩すであろうサボテンの花は咲かないのであるが、咲かない理由は米津自身がそれを拒んでいるからではないだろうか?

 なぜならば、MVで彼自身が描いた絵がそれを物語っている。花が咲く前のサボテンを自らが食べてしまうのだ。

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 つまり、”わかり合いたいけれどそれができない”そして、”美しい関係性を守るためにそうあるべきではない”と言う意志が、この1枚の絵に込められている気がする。

6:小さなナイフ
 
何事にも至らないと自虐的に言う米津だが、自分にとっての武器は「歌」であると言う自負は10代の頃から持っている。

 それを産み出す苦しみは想像を絶するが、彼は”聞いてくれる人”の呪いを溶かす小さなナイフを必死で探している。それは今でも変わらないだろう。その”穢れのない歌”の原点がサンタマリアだ。

7:Cメロ前のサビ
 この部分は悲しみや寂しさや苦しみにもがく多くの人たちを、わかりやすい言葉で全肯定している。

 金色の朝日は”希望”であり、点滴のように涙を落とすのがあなた(ファン)なら、俺は落ち込んだ泥濘の中にだって小さなナイフ(歌)を探しにいくよと言う決意表明に思えてならない。

サンタマリア 全て正しいさ
どんな日々も過去も未来も間違いさえも
その目には金色の朝日が 映り揺れる
点滴のように 涙を落とす
その瞳が いつだってあなたなら
落ち込んだ 泥濘の中だって

8:あなたを見つめ、あなたに見つめられ
 
これも前記事で書いたが、米津の今までの楽曲88曲の歌詞で、お互いが見つめ合っているのは”サンタマリア”だけである。

 しかし、MVの中の”あなた”はずっと目を閉じている。曲を聞いてくれる人が果たして自分を見つめてくれるのか?と言う不安と確信のなさが見て取れる。

 慈愛に満ちた表情であっても、まだ目を見つめてくれてはいない。

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9:花
 MVでは米津本人も、絵本の中の”僕”も曲が進むにつれ身に纏う花が増えていく。部屋の中の米津は、その花に全身を侵食され最後には死んでしまったように見える。

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この花が何を指しているのだろうか?

「自分の音楽を聴いてくれる人だったり、自分の身近にいる人だったり。自分は少なからずそういう人に救われてきたんだなって思うんです。(中略)いろんな人に花をもらいながら生きてきたんだなと。いろんな呪いもあったけれど、それでも自分は生きてこられたわけで。ということは、花をもらってるんですね。」

 ”サンタマリア”を含むYANKEEリリース時のインタビューを読むと、彼は”花”を自分を救ってくれたものと捉えているようだ。

 しかし、サンタマリアでその身を覆う”花”とは、メジャーレーベルならではの期待、重圧、制約、責任、そして恐れだったのではないか?

 ”今この間にあなたがいなくなったら、悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか”

 これらの花がもしなかったら、米津は生きていけなかったのかもしれない。どれだけの悲しさや恐ろしさがあろうと、それを克服していくための歌が”サンタマリア”だったのだ。

 そして、そのためには彼の歌を聞いてくれる、愛してくれる”あなた”が絶対に必要なのだ。

10:あなたは醜い
 最後に、サンタマリア制作と同時期にブログにアップされ、ツイキャスで披露された幻の名曲「あなたは醜い」の歌詞のリンクを貼っておく。

あなたは醜い(2012.08.29のブログより)。

 この曲がサンタマリアの前身だったのではないだろうか?冒頭部のコードもサンタマリアと似ている気がする。

 この曲の”あなた”と”ぼく”は両方とも米津自身で、よくも悪くも花をくれるファンへの思いを胸に刻み付けているように思う。

「掠れる声を踏みにじりながら
生きていることを忘れるな」

 恐ろしく長くなってしまったが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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 <オマケ>
さらに、サンタマリアは米津がハチとして死ぬか生きるかと言うくらい苦しんで書いたと言う「ワールドエンズアンブレラ」と地続きなのではないだろうか?MVの中で彼がさしている傘がこの曲を示唆しているような気がしてならない。

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