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ホーチミン①

 眠れないと思ってまどろみながら、腰や脚の位置をしきりに移動している。不意に時間が一時間ほど跳んで、得したような気持ちになる。到着まであと少しだと思っていると、時差を換算していないことに気がつき暗澹とする。ベトナムとの時差は二時間あった。国際線の楽しみであったはずの機内食やアルコールの提供が有料で、映画を観るためのモニターも備え付けておらず暇を持て余している。片道一万八千円という破格だったからなあと、気圧の変化でぱんぱんに膨れ上がったネックピローの反発を感じつつ思う。
 現地時刻の6時過ぎにタンソンニャット国際空港に到着した。空港に直接接続する形ではなく、到着した飛行機のどれもが斜めの形で整然と並んでタラップがつけられ、その間をバスやコンテナを運ぶフォークリフトが絶えず往き来するのに、戦争映画の軍事基地のような賑やかさを感じる。
 入国審査の列に並んでいると、7時の時刻とともに入国審査官が一斉に入れ替わる。その際に柔和な笑みを浮かべ和やかに二言三言と同僚と会話したあと、また表情を強面に造り替えて外国人に相対そうとするのを興味深く見る。ベトナムから出国用の飛行機のチケットを用意していなかったのでやきもきしていたが、つつがなく審査が終わって入国を許される。
 予約していた宿のチェックインまで六時間以上あった。特にやることを決めていないので、円からドンに両替でもしようとホーチミン市内の両替所を目指す。どうせ暇なのでバイクタクシーという手段をとらず、歩くことにした。想像していたよりも暑くないが、空気の状態がよくないので鼻が痛い。噂に聞くとおり川の流れのようにバイクがどこまでも往来していく。クラクションは鳴り止まない。首都高のような交通量に対して信号機が極端に少ないので、歩行者にとって横断は優しいとも易しいともいえない。まず道の中央まで渡り、またタイミングを見計らって反対側へ。必要なのは思い切りのよさだと思いながら、意を決して飛び込んでいく。
 執拗なタクシーの勧誘、路上で食事する人々、頭上から落ちてくるチェンソーで剪定された五キロ以上ある主枝、汚れてもいない靴をブラシで掃除しようしてくる手を避けながら、二時間も歩けば目的地に着いた。汗だくであり、バックパックを背負った肩が痛く、なにより喉が渇いていた。三万円ほど両替すると、一目散に売店に駆け込み水を求める。16,000ドンだといわれるが、桁が多すぎる通貨になにがなにやら判然としない。とりあえず一番立派そうな紙幣を出すと大きすぎると突き返され、一番みすぼらしい紙幣を出すと足りないといわれ、真ん中ぐらいの紙幣を出すとしぶしぶ受け取ってくれた。紙幣に書かれている数字を読めという話なのだが、ところがどっこい読んでも頭に入ってこない。結局のところ、二日かけてホーチミンで散策し飲み食いして、だいたいの相場を知り一般的なベトナム人の金銭感覚をある程度養ってからようやく、紙幣に書かれた数字を読んで理解できるようになった。世の中には、このような数字盲がいることをご理解ください。
 さて、両替してもチェックインまでまだあと四時間あった。荷物だけでも下ろせないかと、ともかく宿に向かう。その道中「こんにちは!」と日本語で話しかけられ、見てみるとバイクタクシーのドライバーだった。てきとうにあしらって先に進もうとすると「こまねち!」と往年のギャグを飛ばしてくる。そして続け様に「あいーん、がちょーん、らっすんごれらい、ぱわー、ひき肉です」という新旧ごちゃ混ぜのギャグラッシュに立ち止まってしまう。
「志村ケン死んだ。悲しいね」 
 緑色のタクシー配車アプリの衣装に身を包んだその男は、オプと名乗った。彼がノートを取り出して見せつけてくるのを読んでみると、日本語の手書きで彼に対する評価が書かれている。
「見てわたしの顔。ナイナイのオカムラに似てる。観光どこ行きたい。オカムラぼったくらない。ここ見る」
 ノートのどこになにが書かれているのか逐一覚えているようで、ページを開いて文章を指さし自分のガイドとしての優秀さをアピールしてくる。
 チェックインまでまだ四時間ちかくあること、夜通しの飛行機とこれまで荷物を背負って歩いた疲労で考えるのが面倒になっていたこと、そしてなにより、独学の日本語を用いた営業努力に大いに感服してしまっていたので、彼の勧誘に乗ることにした。今考えてみれば迂闊でしかないのだが、値段交渉することなくバイクの後ろに乗り込む。飲食店でメニューにわからないものがあったら、店員に尋ねる前にとりあえず注文してしまう人間が世の中にはいるということを、どうかご理解ください。
 66年の午年、アメリカがエージェントオレンジと呼ばれる枯れ葉剤をばら撒いていた頃にサイゴンで生まれ、都市名をホーチミンと変更してからも住み続けている根っからのホーチミン子のオプさん。独学の日本語は流暢で、サイゴン川が昼を12時から「干潮」から「満潮」に変わると教えてくれたときには、よくもまあそんな日本語まで知っているものだと感心する。YouTubeで日本のお笑いの流行をチェックし、客引きのための努力はかかさない。日本人の誰もが知らないであろう、日本のODAで建てられた1区と2区を結ぶサイゴン川の下を通る22キロに及ぶトンネルを案内してくれ、二区に開発中の数々の高層マンションに今後の発展を想像する。その他、定番のさまざまな観光スポットにつれてくれた。
 正直なところよかった。素晴らしいガイドだと思う。だけども、しかしながらだね、現地の物価を知った今だから思うのだけど、一時間200,000ドン(約1,200円)はちょっと高いんじゃないかなあ、オプさん? それでも彼の名誉のために付け加えますと、会計は明朗でした。当時の私が数字を読めなかっただけです。
 ほとほとに疲れ果て、ようやくチェックイン。便意を催し、致し、尻を拭うと紙が血まみれで、あらためて今日の疲れを知る。念のために日本から持ってきていた座薬を取り出すと、でろでろの溶けて役に立たない。陽が暮れて途方に暮れていく中、私のベトナム旅行の一日目が終わる。先は長い。
 

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