フランス人と一緒にディエンビエンフー観光へ。 観光の目星がつけられた地図を手に入れて番号順に回ってみるも、A1HIllと抗仏博物館ぐらいしか見応えがない。散歩コースとしてはいいですけどね。 途中フランス人が眼鏡のあれなんていうんですかね、鼻に当たるところが壊れたとかで眼鏡屋に寄ったんですが、修理費が無料でした。あったかいですね。 さて次の日、ラオスへ向かいます。 宿の人にチケットを取ってもらい、朝五時半に出発。 途中でドイツ人カップルとドイツ人丸坊主二人組と
飛行機から見下ろす景色から違い、また降り立った瞬間に感じる空気から違い、出会う人々が親しみやすく安易に金を求めず素晴らしいので、やっぱり田舎なんだよなあという気持ちになる。 ハノイから飛行機でディエンビエンフーへ。7800円也。 空港から歩いて宿に向かっていると、中国将棋を打っている二人の周囲で何人もの大人がヤジを飛ばしている。ベトナムにもあるんだなあと思っていると、自転車にまたがった子どもたちが「ウェアユウフロム」といいながら私を周りに集まってくる。頑張ってベトナム
まだまだ寝台列車に乗りたいという欲求があったので乗ることにした。フエを発、ハノイ行。 乗車時刻が18時半だったので、同室の人たちは食事を終えてのんびりところらしい。シンチャオと挨拶をすると、はにかみながら迎え入れてくれる。子どもが三人と、お母さんとおばあちゃんが一人ずつ。お母さんは英語がペラペラ。小さな女の子がこちらを見ては手を振ってきて可愛らしい。 ところで乗車する寝台列車を選んだとき「SE12」と表記されていた。前回乗ったものが「SE4」だったので、番号が増え
阮朝(グエン王朝)と呼ばれる百五十年ほど続いた歴史遺産を見る。受付で入場料が200,000ドンと聞いたとき、一瞬高いなと思ったが、昨日の記憶がよみがえってくる。私はこれに高いといえるだけの筋合いはない。 しかしどうでしょうか! 建造物の壮大さときたら! 百年前の建造物なんぞ日本にもざらにあるが、こうやって巨大な規模で、莫大な金と手間をかけて造られたものはなかなかお目にかかれない。 そしてまた、現在朽ちつつあるものも一緒に存在しているっていうのがロマンよね。 なに
寝台列車というものに憧れがあったので、その交通手段を用いてフエに向かった。 乗車時刻は20時半、四つのベッドが備えられた客室に入ると、すでに消灯している。もぞもぞの動く気配があり話し声も聞こえてくるが、挨拶するのもはばかれて二階のベッドへ上ろうとするも、上がり方がわからない。日本じゃないのだからさもありなんと思い、一段目の人が寝ているベッドを踏み台にして上がる。読書灯はあったのでそれをつけ、荷物を整理してつつ、なんともなしに隣を見ていると、狭いベッドに頭と足を交互にして二
洗濯をしたかったが干すものがない。近所の店をちらほらと見て廻ったが持ち運びに便利なものがない。そして安くない。こんなとき日本の百円ショップの素晴らしさを感じるわけだが、ベトナムにあるわけでもないしなあと思いながらも調べてみるとあった。 メイソウの隣に。 出はじめの頃はダイソーみたいな無印みたいな感じだったが、最近はかなり独自色を出している。ホーチミンにあったのはなぜか原宿にあるようなファンシーなショップ。買いたいものもないので素通りし、ダイソーで洗濯ヒモを購入50,0
眠れないと思ってまどろみながら、腰や脚の位置をしきりに移動している。不意に時間が一時間ほど跳んで、得したような気持ちになる。到着まであと少しだと思っていると、時差を換算していないことに気がつき暗澹とする。ベトナムとの時差は二時間あった。国際線の楽しみであったはずの機内食やアルコールの提供が有料で、映画を観るためのモニターも備え付けておらず暇を持て余している。片道一万八千円という破格だったからなあと、気圧の変化でぱんぱんに膨れ上がったネックピローの反発を感じつつ思う。 現地