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バナナの木


植物をなんども枯らしたことがある。


たぶん一番最初は まりも。

小学校のころ、北海道へ行く友達にたのんで買ってきてもらった。


小さな瓶にコロンと入っていて、とても可愛かった。

テレビで見るあの まりも だった。

コルクを抜いてときどき水を替え、子どもなりに世話をしていた。


瓶の中のまりもは、

ある時から まり であるのをやめて、スクスク成長し、

ただの藻になった。


いまの自分なら、大きな瓶にうつして見守ったかもしれない。

けれど、当時は小さな瓶いっぱいに成長した藻に困惑し、

少しずつ水を足してやることしかできなかった。


可愛かった まりも への愛着が薄れていき、

水替えがめんどうな作業になり、ついには見向きもしなくなった。


ある日、ふと瓶をみると、
藻はうすい黄色になって枯れていた。

あっ、、

放置したのは自分なのだけれど。





小さなサボテンや、100円ショップのクロトンを枯らしたこともある。

最初は可愛くて仕方なかったのに、

植物がちょっと元気をなくしたり、いつもと様子が変わってくると、

わたしは不安になった。

そして植物に近づくことをやめて枯らしてしまった。









昔、彼のアパートに小さなバナナの木があった。

いつも葉がパンっと張っていて、みずみずしくて無邪気な木だった。


一緒に暮らし始めてから、わたしが勝手に仕事を辞め、

アパートで鬱々と過ごすようになるとバナナに異変が現れ始めた。

茎のまん中から出てくる新しい葉が枯れてしまったのだ。


みるみるうちに全体が茶色く傷んでいき、太い茎が倒れて、

ぐったりと枯れてしまった。



またやってしまった、と思った。



わたしが来なかったら、

たぶんこの子は枯れなかっただろうとぼんやり考えた。





見ているだけで辛かったので、

バナナ、さよならしようか、と彼に相談した。

すると、まだ生きているから処分はしないと言う。


こんなにパリパリになっちゃったのに....?


枯れたバナナをながめつつ、

わたしは暗い気持ちでひとり、仕事を探した。





3ヶ月間の転職活動の末、

広告会社の営業職として雇ってもらえることが決まった。

春の初めのことだった。


入社の準備を進めていたある日、

わたしが気にも留めなくなったバナナを見て、彼が驚いた声をあげた。



「うみ、芽が出てる!」



驚いて鉢をのぞきに行くと、

枯れてしまった茎の横、何もなかった土の部分から、

みどり色の芽が顔を出していた。

先っぽには、ちょこんと水滴がついている。



生きてた、と思った。

バナナは死んでなかった。



きっとわたしが見向きもしないあいだ、彼は毎日少しずつ水をあげたり、

陽のあたるベランダにバナナを出してあげたり、

あきらめずに世話を続けていたのだと思う。


そのことに、わたしはまったく気がつかなかった。

自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。





バナナは結局大きく育つことなく枯れてしまった。

だけど彼とわたしは、新しい芽のことを思い出すたびに口にした。


すぐに諦めて投げ出すわたしを、

バナナが無邪気に許してくれたようで、救われた。









あれから何年か経って、彼とわたしは夫婦になって、

マンションの小さな部屋で植物と一緒に暮らしている。


いまうちにいるのは、

ペペロミア・ジェイドとサンスベリア、あとゴムの木。


ペペロミアもサンスベリアも、数年の間に子株が生えてきた。

いま育てているのはそれぞれの子株と、

うっかり折ってしまった葉を水につけておいたら

ニョキニョキと根を張ってよみがえった子だ。





植物の生命力は本当にすごい。

時間はかかっても新しく芽と、根が出てくる。

こちらが勝手に諦めさえしなければ。









見るのもつらくなって、

わたしが勝手に終わらせた植物たちを、たぶん一生忘れない。









申し訳ないけれど、わたしは植物が大好きだ。


運悪く見初められた彼らと、

ベランダで陽なたぼっこできる今を、幸せに思う。


うちに来てくれてありがとう。





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