スーパーのセルフレジ

この頃実感するのが、ますます時代から取り残されていることだ。私の行動範囲なんてたかがしれている。散歩して地場野菜を買って、遠回りして食料品を買って、たまに電車に乗って立ち寄るところも決まり切っている。何も目新しいことはない。なのに、世の中の変化についていけてないことを日々再確認している。
例えばスーパー、私は根っからの現金派だけれど、自分でバーコードをかざして行うセルフレジは難なくできる、と思っている。馴染みの店だけでなく、銀座の無印とかユニクロ、ダイソ一やセリアなどでも、ドキドキせずにこなせている。
先日、久しぶりに国領界隈を散策し、駅横の新しい西友に寄ってみた。広い店内は歩きやすく、車椅子や白杖のお年寄りに寄り添って一緒に回る店員さんに何人も出会い、感動した。昼前だったせいもあって、客は高齢者中心、なじみ客ばかりのようで、あちこちから店員さんとの会話が聞えるのだ。「昨日の雨はすごかったけれど、大丈夫でしたか?」「今日牛乳は?」ー、何だか絵に描いたようないい感じの空気だ。
私は、ひととおり隅からスミまでゆっくり気見て回り、3つ4つカゴに入れてお会計に向かった。新しい店だから、当然のようにセルフ機ばかりだ。もちろん親切そうな係の人が見えるところに立っている。
同じようなセルフ方式でも、店によってレジのタイプは少しずつ違う。画面に表れる文言もタッチのやりかたも、瞬時には判読できないのが年寄りの辛さ。恥ずかしながらいちいち声に出して確認し、あれこれタッチし、とにかく支払い方法の「現金」というところを見つけるまでに時間がかかる。その上、お札を入れる場所がわからない、どうやって差し込むのか、あれこれ迷った。傍目にはまごまごしているおばあさんに映っているはず。なのに、店の人は何も言わない。私がヘルプのまなざしを向ければきっとすぐに手を貸してくれるに違いない。でも、何とか頑張っているところに、もしここで「お客さま~」とか声を掛けられたら、もっと焦って、恥ずかしくなるだろう。余裕の態度で見守ってくれていたから、無事に「おつり」と「レシート」までたどり着くことができた。
高齢者対応の素晴らしいスーパーではないか。これって、小さい子どもの「始めてのおつかい」にも通じる。変わりゆく変化、新しい仕組みの中で、私たち年寄りは、小さい子どもなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?