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秋を踝に感じて/そのまんまねこ

朝は、辛い。特に辛いのは、昨日の疲れが完全には消え去っていないことを自覚したとき、朝一番の想像力が「今日」を指向して働いた瞬間だ。顔を洗って、歯を磨いて、寝癖を直して、辛さを希釈して1日が始まる。


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以下を書いているのは、休日前の深夜だ。余裕のあるうちに、朝のことを考えながら枕元を見回してみる。
音が大きいことを謳い文句にしていたデジタルの目覚まし時計。もし寝ている間にこいつの電池が切れてしまったら、僕は散々な朝を迎えるに違いない。時刻を2つ設定できるので、平日と休日で鳴らす時間を分けられるのもいい。
スマホとその充電器。寝る前に挿しておくのを忘れたことに気が付くと、朝から残念な気分になる。やや劣化したバッテリーは、完全に充電しておかないと遅くとも夕方くらいには切れてしまう。目的地に向かうとき、あるいは疲弊して帰ってくるときに、バッテリーのせいで音楽を聴けないという事態は避けたい。
照明器具の明るさを調整するためのリモコン。布団に入ってしまってから、照明を消すためにわざわざ一度立つというのは、言うまでもなく非常な労力を伴う。
第135回芥川賞を受賞した小説。優しい筆致で、しかし鋭い観察眼から描かれているそれは、息を潜めて他者の日常をちらりと見たくなるような夜に読み返すのに適している。
すでに生産が終了した、2つ折りの携帯ゲーム機。仮想空間の「そね」を操作する時間は、生活の動的な面に侵された脳を良い塩梅に疲れさせ、眠りに導いてくれる。ブルーライト云々は置いておいて、重要だろう。
キリンをモチーフにした双頭のキャラクターのぬいぐるみ。「おはよう」に加えて、「ただいま」や「行ってきます」を言う相手は、居ないよりは居たほうがいい。
一円玉。起死回生の発泡酒の缶がなかなか開かないときに助けてくれる。
常駐しているのはこれくらい。


目をぱちりと覚ましてまず目に入るこれらは、沢山のものが入っては出ていく僕の生活のうち、無意識に選別された名手達だ。もっと色々な物を効率的に置けるだけのスペースはあるのに、適度な余白をもってそこに収まって、僕の休息を支えてくれている。普段ごちゃごちゃしている僕も、寝るときくらいはすっきりしていたっていいだろう。


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と、ここまで書いて、家の中で「朝」をイメージするには、その材料が案外乏しいことに気がついた。平日は一刻も早く家を出ようとせかせかしているし、休日は結局昼前くらいまで横になっている。ついぞ、僕の生活に「丁寧な暮らし」的な朝を見出すことは難しかった。
ただ、そんな僕がいっそう強く朝を感じるのは、希釈した辛さを振り切って家を飛び出してからなのかもしれない。光と風の合算に基づく主観的な空気の温度や、鼻の奥に届く空気の乾湿の具合を日々意識してみると、なめらかに過ぎる季節がその所在を教えてくれる気がする。近くの喫茶店からは、店主が焙煎するコーヒーの香りが届く。昼は子どもたちが、夜は子どもになれない大人たちが乗る隣の公園のブランコも、朝だけは静かに眠っている。



書き手:そのまんまねこ
テーマ:モーニングルーティン



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