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『ジョー・ブラックをよろしく』/アナコンダにひき

※この記事は映画『ジョー・ブラックをよろしく』のネタバレと、私の身勝手な解釈、稚拙な感想を含み、しかし私はこの映画が好きです。



「忘れられない映画」って難しくないか。わざわざ忘れようとした映画なんてないし、そんな映画があったとしてそのために文章書くのはあんまり愉快な作業にならなそうだし、映画そのものについて書いてもよければ、映画を見た時の状況や自分の環境を主軸にしてよくて自由度が高いし…と考えていたのが10月3日。12時前に起きて『風の歌を聴け』(村上春樹、講談社文庫)を読み終えて村上春樹は女の子の乳房と陰毛に言及しなきゃ気が済まないよな、とか「僕」に比べたら僕の喫煙飲酒聴いた音楽見た映画出会った人なんてものの数にもならないな、とか考えた後でアマプラとネトフリのマイリストを漁っていた時間帯のこと。



『最強のふたり』『ショーシャンクの空に』『ニュー・シネマ・パラダイス』『ブックスマート』『ファイト・クラブ』『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『パルプ・フィクション』『ヘレディタリー/継承』『容疑者Xの献身』『バタフライ・エフェクト』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』…色んなジャンルのベタなものしか好きになってない、軽薄で破廉恥な魂がレントゲンに映りました。残念ながら良性なので僕にいくらか不利益を与えても存在を抹消する程のダメージは出せないし、破廉恥な人間はそういった損傷を受けにくい。


ネットフリックスのマイリストの中で知らない若いブラピがコーヒーを飲んでいます。タイトル『ジョー・ブラックをよろしく』(原題:Meet Joe Black)。「世界一スマートなブラピのナンパ術」という短い動画がYouTubeにあって、きっと結婚詐欺師の映画か何かなんだろうと思って整ったブラピの顎の辺りをタップして再生したら、あまりにもスマートな(出来過ぎていて、それでいて嫌みのない)男女の出会いがきっかり180秒に収まっていたから気になってた映画。あらすじを確認したら死神が出てくるらしい。ブラピが結婚詐欺師で死神なら誰にも止められないんじゃないの?高柳蕗子の「てのひらで計算をする死神の黒衣花粉にまみれる季節」(『ユモレスク』沖積社)の死神みたいな雰囲気だったらいいけど。僕は映画を見ながら作業をしても心が痛まなくなってきた頃だったから、これを見ながらブログに書く用の映画を選ぼうとして、結果的に『ジョー・ブラックをよろしく』で文章を書くことにする。


死神がピーナッツバターを好むことの説得力はどこからくるんだろう。俳優の演技力から来るのか、実は本当に死という概念はピーナッツバターを好きだという真実をたまたまこの映画が掘り起こしたに過ぎないのか。人間の身体を手に入れて1日目の、廊下の角を直角に曲がる死神の姿やタオルが地面につかないように指先でつまんで高く持ち上げて渡す仕草には溜め息が出る。廊下は直角に作られているし、タオルは一続きの布というのが本来の姿だものね。

この映画には忘れられないシーンが数多くあって(「心を開いていればいつか稲妻に打たれる」というビルの言葉、「…でも探していれば稲妻が落ちる」という青年の言葉、スーザンと青年が何度も振り返りながら反対方向に歩いて行く場面、上述の死神ジョー・ブラックの所作、痛ましい程健気に3つのケーキを差し出すアリソン、写真について話すベッドの上の女性、ワインを飲みながら泣いたり笑ったりするクインス、あとジョーがドリューに正体を明かすシーン)、いずれも誠実さや名残惜しさ、人間賛歌的な美しさを内に湛えている。正直「死」の概念やシステムの部分についてもっと明瞭な説明があってよかった気もするし、彼らの内面の矜持や美しさは生活の安定の上に成り立つものであるとも思う。あくまでジョー・ブラックが死神であるとする部分は、彼が境界の外からやって来る「来訪者」であるために用意された設定に過ぎない。人を理解していく過程を写すためには外界の者が必要だから。


終盤、大富豪でありスーザンとアリソンの父、そして死神ジョー・ブラックの案内人であるビルの誕生日パーティーが開かれる(この準備を成し遂げたアリソンは本当にすごい。彼女は欺瞞的でありながら、そしてその欺瞞に気づきながらも父のために行動することを徹底した)。この最中にビルとジョーはパーティーを離れて橋の向こうの闇に消えていく。ここで橋。川を渡して舟と同様彼岸と此岸を繋ぐものの象徴。「来訪者」の通り道。そういえばジョーが身体を奪った青年が亡くなったのも道路を横断しているときだった。彼はまだ境界線上にいたんだ。


消えていった闇の向こうから青年が帰ってきて、スーザンと話して映画は終わる。このとき彼らの背景にパーティーの様子が見えるけれど、僕にはその遠くて淡くなってしまった輝きの方が彼岸、あの世のように見える。あるいは孤独に何枚かの写真を持って仕事に戻ったジョーと妻が待つあの世へ向かったビルが、パーティーのスポットライトや花火のような、優しく温かい稲妻に包まれていてほしいというだけのことかもしれない。




書き手:アナコンダにひき
テーマ:忘れられない映画

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