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『461個のおべんとう』/そのまんまねこ


弁当というのは、いざ毎日作ってみようとするとすごく根気の要るものだと分かる。好きなおかずばかり入れるとなんだか全体的に茶色で染まってくるし、栄養を意識して野菜を入れようと試みれば、出来合いの惣菜を買うよりもかえって高くなってしまうこともある。気温が高くなる夏場は食中毒にも気を付けなければいけない。前日の弁当箱を洗い忘れた朝は悲惨なもので、こびり付いた汚れを浮かすところから始めなければならない。等々、様々なストレスから、結局おにぎりやパンを手軽にコンビニで買う生活に逆戻り、というのは誰もが一度は通る道だと思う。

家の事情で、小学生の頃から父の実家で過ごすことが多かった僕は、いわゆる「家庭の味」といえば父の料理だ。高校に上がってからの弁当も父が出勤前に作ってくれていた。通学路の途中のコンビニや校内の購買を利用した記憶は数えられるくらいしか無いので、平日は殆ど父の作った弁当を食べていたらしい。
『461個のおべんとう』は、受験を控える主人公が高校に持っていく「おべんとう」を通じて、父子の周りの人間関係の変化を描くというものだ。思春期真っ盛りの息子と、彼からすればやや無責任にも見える父親。父には父なりの苦労があるのだが、親の心子知らず…という導入で、基本の設定としてはそんなに珍しいものではないかもしれないけれど、エッセイを原作としているからこその膝を打つようなリアリティがあり、気が付くと映画館で洟をすすっていた。惹きつける映画というのは、記憶の中で追熟する。この機会に、僕は自身の涙の意味について考えてみた。


父は、知らない間に起きて、自分が食べるわけでもない弁当を作っておいてくれた。それとは別に朝食も作って、洗濯物をしっかり干してから、僕より少し早く家を出て会社に向かう。簡素なおかずのときは、申し訳なさそうに袋のふりかけが入っていた。
大変な労力があったに違いない。当時は当たり前すぎて弁当のことが話題に上ることは少なかったが、のちに僕が酒を飲めるようになってから、「あのときはきつかったなあ」と父が漏らしていて、不思議と安心したのを覚えている。同じ目線で会話ができたような気がした。


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いつか僕に子どもができたとき、それはもう可愛がる自信こそあれ、彼/彼女が大人に近づいたとき、人生のトラブルにぶつかったときに、1個の人格として、ひとりの大人として接することができるだろうか。まだ自信はない。ただ、美味しいご飯くらいは作ってあげようと思っている。野菜の繊維を断つとき、肉に下味を付けるとき、汁椀の底を洗うときなどに、そんなことを考えている。

書き手:そのまんまねこ
テーマ:忘れられない映画

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