見出し画像

『アルジャーノンに花束を』/竹原 達裕

名作である。もはや数千、数万と語られた、言わずもがなの名作である。
これを読んだのは、確か大学2年生の頃だったと思う。別段大きな理由もなく「名作だしいつか読もう」と思っていて、たまたまその時に手に取っただけだった。読んでみても、感動こそしたものの、全身がしびれるような衝撃を受けページが擦り切れるまで何度も何度も読み返したなどということはなく、いうなれば「フツーに面白かった」という感想を抱き、そのまま本棚にそっとしまった。内容も今ではもう殆ど忘れている。

 
それなのに、今回の『秋に読みたい本』というお題を出された時に、真っ先にこの作品が思い起こされた。どうしてか、紅葉の散っていくもの寂しげな風景と孤独な男の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。はてな、と思い数年ぶりに本棚から引っ張り出してぱらぱらとページをめくってみると、物語の最後が11月21日の日記で締めくくられていた。秋は終わりに近づき、木々の葉ももう落ち切る頃だろう。

 
自慢げに繰り返すことでは断じてないが、僕はこの本の中身を全くと言っていい程覚えていない。あらすじ程度は頭に入っているが、もはやそれは記憶ではなく知識だ。というのに、この作品と秋のイメージは、まるで今日までずっとそうだったかのように僕の中でぴったりと合致する。この本を読んだという記憶の葉はすっかり落ちてしまったが、かつてその葉があったという事実が僕の中のイメージを無意識的に呼び起こした――などというのは、こじつけが過ぎるか。

 
忘れてしまって思い出せない記憶は、もはや最初から無かったのと同じだろうか。それとも、記憶とは別のところで自分を形成する一部になっているのだろうか。はらはらと記憶がこぼれ落ちていくのを感じながら11月21日の日記をつけたチャーリイ・ゴードンは、何を思っていただろうか。

 
余談だが、僕はこの本でロールシャッハ・テストを初めて知り、ゆえあって実際に受けた時に「あっ、アルジャーノンで見たやつだ!」とちょっぴり高揚した。そういうところだけはよく覚えている。



 
書き手:竹原 達裕
テーマ:秋に読みたい本

 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 
同一テーマについて、
曜日毎の担当者が記事を繋ぐ
ウィーンガシャン派のリレーブログ。
今週のテーマは『秋に読みたい本』
明日、木曜日は「そのまんまねこ」が更新します。
 
ウィーンガシャン派は11/20(日)文学フリマ東京35に出店予定です。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?