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豊かさとは、目の前のなにげない「日常」のことではないか

スーパーで購入した牛肉を冷凍保存して、それを賞味期限が切れる前に、焼いて、塩と胡椒で味付けして食べる。

何か良い本がないか、面白い小説がないか、スマホで検索したり、Twitterで流れてくるタイムラインの情報を参考に、Amazonでポチって、kindleアプリで本を読む。防水のスマホで風呂に浸かりながら、ぼーっと読む。

仕事終わりに電車に揺られながら、今日も疲れたなぁと思いつつ、つり革を持つ手とは反対の手でスマホをいじり、おもむろにnetflixを開いて、最近ハマっている海外ドラマを見ながら、家路を急ぐ。

土曜日の早朝にルンバを起動させ、ルンバが猫に襲われながら床のチリやゴミを吸い取りながら巡回しているのを、ねむいと感じながら、ただ眺める。猫にルンバのスイッチを押されて、止まるのを確認して、また再開する。

あぁなんか腹減ったなぁ、なににしよう。めんどくさいからUberEatsでマックでも頼むか、とアプリをポチポチ押して、気分的に食べたいメニューを選ぶ。家に配達してもらい、暇つぶしにyoutubeで最近見つけたゲーム実況のシリーズを見ながら食べる。

織田信長、ナポレオン、アリストテレス、ニーチェ、プラトン、誰でもいいけれども過去の偉人たちは、

「この何者でもない私が過ごす、2023年のなにげない日常の豊かさ」

を見ることがかなうなら、きっと指をくわえながら、「ぐぬぬっ」ってしているのではないか。彼らよりも現代の人間はよほど豊かである。

あとはこの豊かさに気づくかどうかという「認知」と「解釈」の問題というのは、名著たちにゆずる。

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