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私と香り

1.
以前、友人と食事をしたとき、
「キャベツの向こう側」
の話になったことがある。

と言うのも、私が
「このキャベツはいい香りで辛くなくて食べやすいね」
みたいなことを言った折、友人は首を傾げながら
「キャベツって、味のないただただシャキシャキした葉っぱじゃない?」
なんて言うので
「キャベツは甘くて辛くて、たまに苦い、そういう草じゃない?
ちょっとよく噛んだらブロッコリーの味もするじゃない?」
と、キャベツの味を語ってしまった。

私は実はキャベツ、あんまり好きじゃない。

「私の友達にね、何を言っても野菜を食べない人がいてね
本人が言うには、スーパーテイスターなんだって。
だから、人より苦味を感じすぎて野菜が食べれない。
キャベツの向こう側の味がわかるって、
ふゆちゃんもだいぶんスーパーテイスターなんじゃないかな」

なるほど、私はスーパーテイスターだったのか…

感慨深く「スーパーテイスター」と言う言葉に感じ入りながら
吉祥寺を後にした。

2.
先日、コロナウイルスに遅まきながら感染し
二日間ほど40℃近い熱で寝込んだ後、

完全に嗅覚を無くしてしまった。

多くの人の言うには
「香りを感じなくなったらご飯がおいしくない」
とのことなので、食い辛抱の私は恟々としていた。

ご飯おいしくないなんて耐えられない。

ご飯の炊ける匂いがしない状態で納豆ご飯を食べてみた。
というか、毎朝私は納豆ご飯を食べている。
ビル・ゲイツが毎日同じスーツを着るのと同じ原理の納豆ご飯だ。

その日の納豆ご飯はこっくりとした苦味とほのかな甘み
それを引き立てる塩味と少しのワサビの辛さ、
包み込むようなご飯の爽やかさで
今まで食べたことがないほど美味しい納豆ご飯だった。

おそらく納豆の強すぎる香りが納豆ご飯の美味しさの何割かを阻害してたのだろう。
納豆は好きだが、香りは悪臭だったのだ。

起き抜けに何の匂いも感じないのはとんでもなく快適なことであった。
何しろ「〇〇の掃除、完璧じゃなかったな」
なんて朝の機嫌が悪くてぼーっとしている時に感じなくていいのだから。

無臭のおでんも最高に味わい深く、
無臭のクリームシチューも大変おいしかった。
パセリを入れる意味がなくなるのは少し悲しかったが、
食べ物の香りがない分、本当の味をとことん楽しめた。

1番面白かったのは、無臭のコーヒーだ。
香りがなければ、コーヒーはただの苦い汁なのだけれども、
いつもより少し薄めに淹れると、とても奥行きのある苦い汁になる。

紅茶はダメだった。
マイルドな白湯から抜け出せなかったので、
アールグレイにしてみたところ
いつもなら香料の香りしか感じないのだが
今回ばかりはとてもおいしく感じられた。

香りがない方が、味は感じる、
そう、スーパーテイスターなら。

スーパーテイスターの上に嗅覚も強い、と言うのは
もしかすると大変生き難いことなのかもしれない。

少なくとも、嗅覚を失っていた2週間ほどはストレスがとても減っていたように感じる。

そういえば、私は蛍光灯の下だと明るすぎて何も見えないし
うるさいところだと何も聞こえない
化繊の服を着ると肌が負けるという
すっかり慣れてはしまっているけれど中々の過敏症人間なので
そりゃあ、煩わしい感覚が一つ無くなるのはストレス源が一つ減るようなものだろう、
そりゃあ楽だろう、
なんて思ったり、した。

ところで、私は過敏症気味人間としてずっと生きている訳だけれど、
普通の人って、どんなもんなんですかね?

それとも、普通なんてないんですかね?

あ、嗅覚はすっかり帰って来てて、
髪の毛がめっちゃ切れるのも治って
何の後遺症もなく今は元気です!
ちょっと体力無くなってるけど、
まぁ、何とかなるやつです!

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