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会社員を諦めた


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5月末に会社を辞めた。
働くことは好きだ。
日々の成長を感じたり、人と出会えたりする。

勝手に時間が過ぎていく恐怖

やりたいことが分からないままでも
働いていると時間がお金に変わる。
時間がたくさんあると考える必要がないことも
ぐるぐると頭の中で張り巡らされてしまう。
お金もないと不安が大きくなる。

だから「無職」を遂行できる人のことは
プロだなと尊敬している。
(ここでは無職について広く定義する)
無職に必要な素養は、財力と精神力
社会の風当たりにも負けない力がないと難しい

意思を持たず働くことは
人生を諦めた思考の停止だ。
社会の歯車になってロボットのように消耗し
あっという間に時間が過ぎていく。

私はそれができなかった。
孤独と向き合わずには生きていけなかった。
自分は何者なのか、自分が何をしたいだとか、
どこへ行きたくて、どう過ごしたいとか。
イヤでも考えずにはいられなかった。

働いているおかげで夢が叶うことも
企業のバックアップで
大きいことが出来たりするけど
どうしても自分の時間を
取られている感覚になってしまった。

私が無職になるのは3回目。
1回目は会社が倒産した。
2回目は気が済むまで海外に行きたかった。
それから今回だ。

まだまだアマチュア無職だけど今回は、
会社員でいることを諦めることにした。
もちろん今後働きたいと思う会社があれば
所属したいし、
何かのために大きなお金が欲しくて
正社員になるかもしれない。

だれにも理解されなくても
自分だけは自分を信頼してあげる

心配をかけるので母以外の家族は
私が無職だとは知らない。
(そもそも母にもバレたという形、、)

私の両親は離婚しているので
父方とも定期的に会うけれど
大体は祖父母の家で育った。
祖父母は昔から「寄らば大樹の陰」と言って
長いものに巻かれることで安住を得てきた。
親戚は皆国立大を出て、
教師やら大企業やらで生き生きとしている。
(私もその恩恵を受けているんだけれど…)

中でもプライドが高い血縁主義者がいて
「流石うちの家系だから出来たね」って
私の努力で成功したんじゃなくて
自分の成果の一部にされてムカつくから
勉強もしたくなかった。
それでも言うことを聞いて
専門には行かず大学に入ったし
名前の知られてる会社に入ったよ。

大学は入ってよかったけど
早いうちから自分の信じた道が
決まっている人を見ると
モラトリアムに少し気が逸った。

結局入社した会社は倒産して
改めて考えてみると少しホッとした。
(すごく大変だった)

長いものに巻かれたって
人生や未来がどうなるかなんて
わかんないんじゃんって確信と
鼻につく血縁主義者の誤り。
それはそれとして、
手のひら返しで悪口を言う浅はかさに
うんざりした。
(こんなこと書いても、もちろん育ててくれたことに感謝しているし二人をとても大事に思ってる。だからこそ悲しい)

同僚は年齢層が高めだったので
どうなるかと心配したけど
意外と次へのルートが用意されていたことも
案外生活って続くんだなって
安心させてくれた。

職業診断で出るのはアーティスト
社不なんだって就活の時は困った。
(アーティスト=社不と言いたい訳ではありません)
ビッグになりたいとか
大それたことは言わないから
私らしく生きさせてほしい。
それを家族だけでも分かってほしかった。

タトゥーを入れた理由も偏見をなくしたい、
舐められがちだから装いで威圧したいとか
やっぱり少し反社的な意味があるけど
だれかに理解してほしくて、
わざわざ自分から進んで
マイノリティにならなくても
いいのにってことをしてしまう。
(タトゥーは気に入ってます)

自分として、今を生きられてる?


初めは多くの時間を
どう過ごしていいか分からず
SNSに埋もれそうになって、
頑張って働いていい暮らしをしてる人や
夏を謳歌して輝いてる人たちを見ては
自分と比べて病みそうになった。
遠い世界のはずの芸能人だって
SNSでは身近に感じられた。
当たり前だけどSNSに正解はない。

途中から孤独と向き合うために
他人と比較することをやめた。
結婚して子供を産んでいく同年代や
才能が目立つ後輩に焦りを感じるのもやめた。

自分が周りからどう思われるかも
考えるのをやめた。
これまでは自分と向き合えてなかった。
人からどう思われているか常に気にしていた。
後ろ指差されるんじゃないかとか
悪目立ちしたら恥ずかしいとか
溢れ出る自我を隠すことなんかも
自意識過剰な羞恥心ばかりだった。

でも孤独は自己中になりやすいし、
自己憐憫は認知が歪むので
気をつけなければいけない。

最近父に会って
「自分が好きなことをやってれば
周りは気にならないよ」と言われて
妙に納得した。

丁寧な暮らしはロックンロールだ

ずっと早く次の会社を探さないと
と思っていたので
会社員を諦めて今は清々している。
朝はちゃんと起きてコーヒーを入れて
朝ごはんをしっかり食べる。
ストレッチをして寝ぼけた身体を起こす。
映画を見たり本を読んだりする。
英語や韓国語のリスニングをしたり。
外の空気を吸いに散歩をする。

今まで出来なかった、
ずっとやりたかった
理想的な暮らしが出来ている。

これまでは友人との予定がなければ
ベッドで携帯を見て終わる日ばかりだった。

この前、友人と
「やりたいことがあっても、
自分を犠牲にしてまでやりたくはないよね」
って話をした。
私たちが一番大切なのは
自分のリズムに合った暮らし。

強く見せるつもりはないけど、
私たちはバイオリズムや天気
そういう自然の世界の中に
内包されて生きていきたいから、
少し社会のスピードと違うみたいだ。

だからか分からないけど、
例えば学校で何分以内に問題を解くとか
そういうのも出来なかった。

気が向かなければやりたくないし
やるなら好きなだけやりたい。
でも勉強は嫌いじゃない。

私の周りは知識人が多くて
それに比べて私は、と思うことも
昔は多かったけど
今は自分のキャパの中で
小さく楽しめればいいと思っている。

制限ある中でどこまで精度を上げるか
そういうのが大切なことも知ってるよ。

自分のリズムを社会のリズムに
フィットさせられる人はすごい。
朝からジムに行った後に
出社出来る人は
体力気力の点で住む世界が違う。

会社員じゃないと面白くないこともある

・人と会うのに基本金がかかる
おはようとか昨日は何を食べたとか、声を発して生の声を聞いたり、表情を見てコミュニケーションを取るだけでいい
・休みがありがたくない
土日、連休、お盆、お正月、そういうありがたい休みがあった方が日常にメリハリがつく
・給料日、ボーナスがない
これも上と同じ
・飯や酒が美味くない
汗水流した記憶が遠くなると現状働いてないことにフォーカスしてしまい食事ではなく栄養摂取の営みになってしまう

お金や将来の不安

働くしかないのは知っている。
でも何か感じるわだかまりがあるのに
日銭を稼ぐことって、
そもそも健康で文化的な
最低限度の生活なのかしら。

みんな折り合いつけて何かを見出して
がんばって働いてるんだって知ってる。
でも私の暮らしもあなたの暮らしも
お互い関係ない。
(みんなで社会を回すんだとか
そういう話はやめます)

どんな仕事をしていても
将来の不安やお金の心配はつきない。
だったらこの不景気の中、
安く時間を買い叩かれるくらいなら
自分に時間を費やした方が
よっぽどいいんじゃないかとさえ思う。
おばあさんになって
もし取り返しがつかなかったら
老体にムチ打つしかないよ。

生きることって何か形として残ること
生きた証を残すこと

最近はちょっとした新しいことも出来ている。
どれも憧れるし色んな形で
出来ることは続けたいけど、
どうしても長く続いちゃうものが
自分のオリジナリティだとしたら、
私の魂の灯火は文章になっていくのかもしれない。

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