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生きている時間の名作 ~佐伯祐三

先日、大阪中之島美術館の「TRIO展」に行きました。パリ・東京・大阪の3つの美術館が所蔵する110名・150点のモダンアートのコレクションで、ピカソ、バスキア、草間彌生など、国内外の有名アーティストの作品が並んでいました。

私は順番に鑑賞していく中で、1枚の絵の前で足が止まりました。それが佐伯祐三の「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」という作品です。

パリにある綺麗でもない普通のレストランを描いたものですが、キャンバスから溢れ出るエネルギーをガツンと受けて、しばらく動けなくなりました。
ちなみに、この作品です。

佐伯祐三「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」1927年

一筆でサッと描いた椅子、踊るようなアルファベット、眩しく反射するテーブル、力強く盛り上がる絵具。私はこの絵が放つ、何とも言えないパワーに圧倒されました。

私はこの絵が気に入り、出口の売り場でレプリカを手に取ったところ、不思議なことに、まるで違う絵を見ているように何も感じませんでした。実物の前で感じたパワーは何だったのでしょうか?

実物とレプリカとの大きな差は「晩年のゴッホの絵」を観た時にも感じたことがあります。佐伯祐三とゴッホ、2人に共通するものがあるのでしょうか?

30歳の若さで亡くなった佐伯祐三

佐伯祐三は、大学卒業後の25歳に活動を始め、翌年にはパリに移住し、多くの画家から大きな影響を受けます。移住2年目、持病の結核を心配する家族の説得で、一時帰国を余儀なくされます。

しかし1年も経たぬうち、焦るように再びパリへ。佐伯祐三 29歳。2回目のパリでは、結核が悪化し精神面でも不安定になりながらも、とてつもない勢いで絵を描き続けました。

その後、体調は悪化しつづけ、筆も握れなくなり、精神病院に入院したまま30歳の若さで亡くなりました。画家としての活動はわずか5年。名作の多くは、29歳の1年間で描かれたものです。

37歳の若さで亡くなったゴッホ

ゴッホは、27歳から画家としての活動を始め37歳で亡くなるまで、10年間で2,000作品を描いたにも関わらず、売れた絵はたったの1点。彼の絵が評価されるのは死後10年以上経ってからです。

とくに評価が高いのは、35歳にアルルに移住した後に描かれた作品が多く、耳切事件のあと、精神的に不安定な状態になってから、より独自性の高い名作が生まれていきます。

36歳の時に、サン=レミの精神病院に入院し、翌年に37歳の短い人生を終えています。画家としての活動はわずか10年。死後に評価された名作の多くは、最期の3年間で描かれたものです。

2人の "生きている" 時間に生まれる名作

晩年のゴッホは多くの時間は精神が病んでいて、なかなか筆を握れなかったようです。たまに訪れる精神が安定した “生きている" 時間 に必死で絵を描き続け、「キャンバスに自分を遺した」のではないかと感じます。

佐伯祐三も、つねに精神の不安定に襲われながらも、"生きている" 時間にできるだけ多くの絵を描こうとした、それが「レストラン」の絵にみる、一筆でサッと描く潔さや力強さに現れているのではないでしょうか。

そしてゴッホと同じように、また精神の闇に覆われてしまう前に「キャンバス上で自分の存在を感じながら、そこに自分を遺した」のではないか。

ここにオレがいる。バサッ!
まだここにオレはいる。バサッ! みたいに。

私が彼の絵に観たのは、レストランの風景ではなく、彼の生きる魂そのものだったのかも知れません。だからこそ、写真やレプリカにはなく、実物のキャンバスでしか感じなかったのでしょう。

佐伯祐三「ガス灯と広告」1927年


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