有村藍里ちゃん

ずっとアカウント登録したまま使ってなかったけど、これを機にツイートにはおさまらないことを呟きたいときに使っていこうと思う。

これから書く内容に、ブスという言葉を何回か使ってしまうのだけれど、これを読んでいる誰かを傷つけるような意図はない。醜いだとか、容姿が整っていないだとか、そんなオブラートに包んだような言葉の方がよりリアリティを増して心に刺さることもあると思うから、というかわたしはそうだから、あまり使いたくない。この先出てくるブスという言葉をただ単に美人の対義語として捉えてほしい。

唐突だけど、わたしは美人ではない。かと言って二度見されるほどのブスでもないと思う。両親とか、仲のいい友達とか、贔屓目に見てくれて中の上。客観的に見るとたぶん中の下ぐらい。わたし自身は自分の顔が本当に好きじゃない。顔が可愛ければなあって思ったことなんて数え切れない。


それで、有村藍里ちゃんの話と整形の話に入りたい。と言ってもただただまとまりもなく書き殴るだけなんだけど。

まずわたしは整形を公表する少し前から有村藍里ちゃんが好きだった。会いに行ったりするようなファンではなかったけれど、バンド以外の芸能人有名人は3人ぐらいしかフォローしていなかったわたしがインスタとツイッターの両方でフォローするぐらいには好きだった。

何がきっかけで知ったのかは覚えてない。でも、有村架純ちゃんとのツーショットを見たり、ツイートを見たりしていて、ああこの人好きだなって思ったのはすごく覚えてる。自撮りとかいっぱい載せてるんだけど、一方で自分はブスで悲しい、可愛くなりたい、みたいな内容もいっぱいツイートしてた。よく、ブスつらい。。みたいなコメントとともに自撮り載せてるアカウント、あるじゃないですか。否定待ちみたいな。そういうのは本当に好きじゃないんだけど、藍里ちゃんのツイートからはそういうのとは違う何かを感じたんだと思う。

わたし自身、自分で鏡を見ると、うわあブス…無理…ってなるときもあるし、いや別にわたしの顔そんなに悪くないんじゃない?って思えるときもある。もう立ち直れない、こんな顔じゃ生きていけないみたいな気持ちと、いやぜんぜん大丈夫自信持っていこうっていう気持ちの2つが交互に来たりないまぜになったりする。わたしだけじゃなくて女の子のだいたいはそんなもんだと思う。わからんけど。そうですよね?

だから、可愛く撮れた自撮りを載せて、自信を持とうとしてるのと、可愛くなりたいよしんどいよって思ってるのの両方が心の中で共存してるような藍里ちゃんのツイートを見てなんかすごく親近感を覚えた。わたしなんかが同意するのも失礼かもだけど。


だから、だいぶ時間はたったけど、藍里ちゃんが手術して、それを公表したとき、すごく元気付けられた。

わたしは学生で整形するお金はないし、漠然と自分の顔は嫌いだけどどこをどう変えたらブスじゃなくなるのかもよくわからない。こういう顔になりたい!みたいなゴールも自分の中にない。だから整形している人の気持ちがわかるとは言えないし、きっとその程度の顔の悩みなのにわかったような口聞くなとも思われるかもしれない。

でも、今の漠然とした嫌な気持ちがなくなったとき、つまり、ここを整形したい!と思えたときには、その気持ちに向き合って、ちゃんと考えて、お金を貯めて、手術を受けたいと思う。逆に、もし、歳をとって、ブスなりに自分の顔に愛着がわいたり好きになったりしたら、その気持ちもちゃんと受け止めたいと思う。どっちに転んでも、笑って生きていけたらいいなと思う。


本当は整形を叩く人に対して論破するような内容まで盛り込もうと思ってたけど、書いてるうちにそれはまた別問題だなと思ったのでとりあえず今回はやめときますね。


有村藍里ちゃん、わかったような口聞いてごめんなさい。これまでも、これからも、応援しています。