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すんごい時代、こわい時代。

なんでもないただの一般人でもその気になれば映像クリエイターやコラムニストになれたりと、その人のバイタリティ次第で自由に自分の意見や発想を世界に向けて発信できる時代。凄すぎ。

才能があれば大衆の目に留まってそこから火が点いて、それまで自己満足に過ぎなかったモノが自分の生業にまでなることもある。まぁそんな夢のようなことを経験できるのはほんの一握りの選ばれし者だけだけど。でも可能性は0じゃない。そんな夢のような経験をするためにみんなこぞってネットの海に自分の頭の中をぶちまける。どうか誰かの目に留まりますようにと願いながら。

インターネットがここまで普及していなかった時代の人にとったらそもそもこんな誰にでもチャンスがある環境が夢のようなことだろう。自分の才能を見つけてもらうチャンスすら得られないまま死んでいった才能がどれだけあるんだろうとかいっちょまえに考えるといたたまれない。
それこそ身分が明確に分かれていた時代なんてどうなるんだ。農民としての人生しか送ることができないことが生まれたときから決まっていた時代。歴史の教科書に載っている有名な歌人や作家を上回るとんでもない才能が肥料臭い農村でいくつも死んでいった可能性だって大いにある。そんな環境に恵まれなかった人のことを考えるとこんな風に期末テストの勉強から逃避して駄文をカタカタ書き綴ってることが申し訳なくなる。(だからといってそんな訳の分からない遠慮するつもりも毛頭ないのだが。)


この恵まれた時代に生まれた以上はこの環境をフル活用して自分も夢を掴んで教科書に載れるよう頑張るつもりではあるが、一歩踏み間違えれば一瞬で再起不能になりえることも心に刻んで置かなければならない。

「いつでもどこでも気軽に発信できる」この環境が麻痺させるがその発信先は自分のフレンドリストでも大学の教授のメールボックスでもなく世界なのだ。友達と面白がって撮った回転寿司屋でのいたずら動画もネットに放り込めば誰かに見つかってあっという間に警察沙汰。動画に映った友達は瞬く間に特定されて一生「そういう人」としてのレッテルを背負って生きていくことになる。

「夢を掴む機会」がある一方で「人生を棒に振る機会」はそれ以上にある。失敗してもまた立ち上がればいいなんて甘い時代ではない。デジタルタトゥーなんて言葉が生まれたようにその失敗はずっと自分の足を引っ張る。ある意味、失敗することが許されない時代とも言える。こわすぎ。


友達がよくわからんnoteをインスタのストーリーにあげていたのを見て自分もテスト勉強の息抜きに書いてみたが案外面白かった。気軽にコラムニスト気分を味わえる上に自分の中でぼんやりと思っていたことを文章化していく中で気づくことがあったりして自分への戒めにもなる。日々感じたことを時々ここで吐き出すのもストレス発散にいいかもしれない。…とは言いつつもなんだかんだでこれが大衆の目に留まってそこから火が点いて、自己満足に過ぎなかったコレが自分の生業になったりなんかしたらいいのになんて思ってたりもする笑




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