人の好きを否定しなければコミュニケーションは上手くいくと思う

ここ数年、「好き」という言葉を「推し」という言葉で表現することが増え、自分の好きなものを公にしやすくなった雰囲気を感じる。とても良い傾向だと思う。

自分は何か特定の推しがいるわけではなく、極力、部屋に物を置かないようにしてシンプルな生活を心掛けているので、対照的に部屋一面に推しのグッズが敷き詰められている様子を見ると、その熱量に圧倒される。

とは言え、その生活を否定する気は全くなく、むしろ推しのどこに魅力を感じるのか、どこに惚れたのかを聞いてみたい気持ちが湧く。また自分が知っていることならなおさら聞いてみたい。

現在自分が子供部屋おじさんという生活環境だからというわけではないが、子供部屋おじさんというフレーズからイメージだけでアニメオタクやゲーム好きと思われると困惑する。

確かにアニメ鑑賞は好きだが、アニメ全般に詳しいとは言えず、むしろ流行りのアニメには疎いと我ながら思う。実は今に至っても【鬼滅の刃】や【推しの子】、【呪術廻戦】、【葬送のフリーレン】といった話題のアニメを観ていない。これらの作品が嫌いという理由ではなく、別の作品に関心が移って食指が動かないのである。

いずれアニメが完結したら観るかもしれないが、当面の間は観る機会はないと思う。

さてそんな自分ではあるが、ここ最近観たアニメの中で、今回のテーマにピッタリのものがある。【五等分の花嫁】である。

貧乏ながら学年トップの成績を誇る上杉風太郎と勉強嫌いの同学年の五つ子(中野一花、ニ乃、三玖、四葉、五月)が、家庭教師と生徒という立場になって繰り広げるラブコメであり、また風太郎の幼き日の初恋相手が実は五つ子のうちの誰かであり、その想いが叶い、風太郎と結婚するのは誰なのかという推理要素も含んだ作品である。

【五等分の花嫁】が好きなコアなファンから言わせれば、「今頃アニメを観たのかよ、遅えよ」と突っ込まれそうだが、アニメシリーズ1期、2期、スペシャル版、そして映画をサブスクで一気に観た形なので、自分としては推理要素を含む作品だけに、間を置かず続けて観ることでストーリーの流れがよくわかって良かったと感じる。

また先頃、【五等分の花嫁】の新作アニメーションが発表されたので、今後の楽しみがまたひとつ増えたのも嬉しい。

ここでは【五等分の花嫁】についての個人的な感想は割愛するが、個性豊かな五つ子及びそれぞれのキャラクターを演じる声優たちが人気ということもあり、作品のファンというより各々のキャラクターにファンがついているのは容易く想像できる。

ゆえに作品の都合上、五つ子のうち4人は風太郎と結ばれない、結末としては少し残酷なものになってしまうので、お気に入りのキャラクターが風太郎の花嫁になれないストーリーを受け入れられない人もゼロではないだろう。

かく言う自分も、この5人のうち好きなキャラクターを挙げるとするなら、ストーリーが進むにつれて大きく成長した三女の三玖なので、結末を知った時は少し残念な気持ちになったが、とは言え作品としては観て良かったので、この作品を世に生み出してくれた作者には感謝したい。

繰り返しになるが、今もなお関連イベントが開催されるほどキャラクター(声優も含む)の人気が高く、同時にキャラクターをモチーフにしたグッズも多数販売されていることから、キャラクターごとに熱狂的なファンが存在しているのは間違いない。

しかし熱が入り過ぎるあまり、別のキャラクターを馬鹿にしたり、そのキャラクターが好きな人のことを軽蔑したり、人の好きを否定するような態度や言動を取ると、相手とのいざこざに発展しやすいのは言うまでもない。

自分の好きが必ずしも相手と同じであるわけでもなく、その逆も然りで、それぞれの好きを尊重し一定の理解を図れば、コミュニケーションは上手くいくのではないかと思う。

今の世の中、様々なものを対象にランキング化されている。ゆえに他者の好きが可視化されやすいとも言える。【五等分の花嫁】も例外ではない。

他者の好きが可視化されると、やはりと言うか、やめておけばいいのにそれに対して色々と言ってくる輩が出てくる。往々にして難癖をつけてくる人ほどコミュニケーションが得意とは言い難い。

【五等分の花嫁】に関する色々なランキングがあったとして、自分は登場キャラクターの中で言えば三玖が好きなので彼女に票を入れると思うが、他のキャラクターが持つ良さや魅力も知っているので、仮に三玖がランキングの最下位であったとしても怒りはしないし、トップに立ったキャラクターを否定することもない。結果的に誰かの好きを否定することに繋がるからだ。

一人ひとり育った環境も境遇も違う。これまで歩んできた人生における経験も異なる。だからこそ人の好みは千差万別である。

ただ、どうしても相手の好きが受け入れられない時もあるだろう。そんな時は、否定よりもその場から離れることが処世術だと感じる。人の好きという感情を侮ってはいけないからだ。