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一度離れたSNSを再開して気付いたこと

私は大学生の頃から、TwitterやInstagram、Facebookを始めた。
周りの友達をフォローして、投稿にいいねを押したり、自分でも写真や呟きをアップした。
周りの人がどんな生活をしているのか、どんなことを思っているのか、を純粋に知ることは面白かったし、
自分の投稿にもいいねやコメントが来ると、自分のことを見てもらえている安心感と相手との距離が近くなったような気もしていた。
自分のことを表現できる場所、居場所があって嬉しかったのもあるだろう。

当時は純粋にSNSを楽しむことが出来ていた。

そんなSNSとの向き合い方が変化してしまったのは、コロナ禍に入ってから。
世界が未知のウイルスで騒がれていた時、私自身もその混乱の渦の中にいた。
病院で産科病棟勤務だった私は、自分の感染対策に精を出した。なぜなら自分の感染によって、免疫力の弱い赤ちゃんや妊婦さんに感染を広げてしまうことに繋がってしまうから。
基本は病院と家の往復で、コンビニに寄るのも本当に必要な時だけ。家に着いたらすぐにシャワーも浴びたし、スマートフォンも毎日綺麗に拭いていた。
病院で1人感染者が出ると、その人の過去48時間の行動記録を書かなければならなかったし、その人と関わった人、どれくらいの密度で関わったのか感染対策部に報告しなければならなかった。
自分が単に感染して苦しむだけではなく、周りの人を巻き込んでしまうリスクがあった。それが一番怖かった。

また、私の病院はコロナ陽性妊婦の受け入れも行っていたため、同じフロアに隔離されている患者さんもいた。
自分たちも陽性にならないように、病院での感染対策もかなり厳しく行われていた。
休憩室でもマスクは外さないで話す、マスクを外しての食事は基本孤食。自分が触れたところは必ず拭いてから去る。家族とご飯を食べる場合も4人まで。
様々なルールのもと、自分たちの感染対策に全てを捧げていた。

人と直接関わることがリスクになってしまった時代、そんな中基本的に1人ですることといえば、SNSを見ることだった。
起きてる時間のほとんどをネットサーフィンに使った。

しかし、今生きている世界が自分と、ネットの世界だけになると、少々苦しいことが起きてくる。

それは
「人と自分を比べてしまうこと」

「自分はこんなにも辛いのに、なんでこの人は楽しそうに笑っているんだろう」
「私は外食もせずにいるのに、なんでこの人は美味しそうなラーメンを食べてるんだろう」
「なんで私は実家に帰るのを我慢しているのにこの人は友達と会っているんだろう」

そんな嫌な感情がどんどん湧き上がってきてしまった。

そんな感情になる自分も嫌だったし、
人と比べてどんどん卑屈な考えになっていってしまうのが苦しくなって、
私はSNSを全てアンインストールした。

そしたら、すごく楽になった。
情報をシャットダウンして、自分の人生に集中することで余計なことを考えなくて済んだのだ。

そして今、コロナと向き合って共存していく時代になり、外食の人数制限もなくなり、マスクをする強制もなくなってから、久しぶりにInstagram、Facebookを再度インストールした。Twitterに限っては、名前と色が変わっていた。

そして、今の状況を久しぶりに投稿した。
Instagramは4年ぶりだし、Facebookは5年半ぶりだった。
「今の私は上海にいます」
Xには
「三角チョコパイ食べたいな」

久しぶりに身体を動かした時、全身に血流が回っている感じに似ている。血が巡った。

久しぶりに投稿をしてみたら、
いいねやコメントが飛んできた。

元気ー?
今上海なのかー!
会いたいよー!
などなど。

懐かしさや人の温かさに触れて、本来あるSNSのポジティブな面を感じることが出来た。

自分の心に余裕がないと、世界を狭く見て、自分を見失ってしまいかねない。

だけど、自分の心に余裕があって、ブレない軸があると、SNSといい距離感を保ち、再び楽しむことができることに気付いた。

やっぱり人と関わるのは楽しい。
純粋にそう思えた。

自分から発信する楽しさと、
いいねをして相手に届ける楽しさ。

一度離れたことで、自分の心の余裕を取り戻すことができたし、SNSとの距離の取り方も言語化できたのは良かったかもしれない。

依存せず、悪用せず、本来の良さを忘れず、
これからも楽しく付き合っていきたい。

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