【無料公開】『性風俗サバイバル 夜の世界の緊急事態』(4月8日刊行・ちくま新書)冒頭部分
2021年4月8日(木)刊行予定の『性風俗サバイバル 夜の世界の緊急事態』(ちくま新書)の冒頭(はじめに)を無料公開いたします。
はじめに
二千九百二十九人。これは、二〇二〇年(令和二年)の一年間で、性風俗の世界で働く女性の無料生活・法律相談窓口「風テラス」が対応した相談者の合計人数である。
二〇二〇年十二月三十一日現在、私の手元にある風テラスの相談専用スマートフォンには、LINEに千七百十六名の友だちが登録されており、ツイッターでは五千七百五十九名のフォロワーとつながっている。
一年間、このスマホを通して、私たちは北海道から沖縄まで、全国各地の性風俗店で働く女性たちとつながり、早朝から深夜まで、数えきれないほどのやりとりをした。泣きじゃくる女性を励まし、「今すぐ死にたい」と訴える女性の声を傾聴した。時には攻撃的な言葉を浴びせられたり、一方的に通話を切られることもあった。
殺到する相談に対して、懸命に回答し、求められている情報を発信した。所持金が尽きそうなシングルマザーには、ソーシャルワーカーの相談員が緊急小口資金の申請方法と地元の受付窓口を伝えた。緊急事態宣言の中、住まいを失ってネットカフェを転々としていた女性には、最寄りの役所の地図と、生活保護の申請方法を分かりやすく解説したマンガのリンクを送った。家庭内で恋人から暴力を振るわれている女性からSOSの声が届いた時は、弁護士の相談員が緊急対応した。
こうした対応や発信に合わせて、女性たちからも様々な画像がLINEで送られてきた。ホストやスカウトとのやりとりを記録したスクリーンショット、違約金の支払い誓約書、役所から届いた赤い封筒、債権者からの督促状、玄関のドアに貼られた立ち退き宣告の張り紙、法律事務所からの内容証明郵便、裁判所から届いた訴状。いずれの画像も、彼女たちの切羽詰まった状況を、彼女たちの言葉以上に雄弁に物語っていた。
全ての人が「当事者」になった世界
二〇二〇年は、全ての人が「当事者」になった一年だった。
新型コロナウイルス感染症の猛威により、経済・政治・医療が機能不全に陥り、社会全体が巨大な経済不安と健康不安に晒された。対面でのコミュニケーションや移動がままならなくなり、あらゆる領域の社会活動が停滞した結果、これまで解決が先送りにされてきた社会保障制度の欠陥や不備、正規雇用と非正規雇用との格差、女性と子どもの貧困、ジェンダー不平等などの社会課題が同時多発的に顕在化した。
コロナ禍の中で、会えない。話せない。働けない。稼げない。学べない。歌えない。集えない。治せない。触れ合えない。愛し合えない。立ち会えない。看取れない。全ての人が、程度の差はあれ、何らかの形で社会課題の当事者になった一年だったと言える。
全ての人が当事者になった結果、多くの人が、これまで「他人事」として見て見ぬふりをしてきた社会課題を、「自分事」として考えるようになった。その結果、他者に対する共感と連帯の意識が高まり、社会の中で理不尽な扱いを受けている人たちを守るため、声を上げる人が増加した。同時に、特定の集団や組織を、社会の敵(パブリック・エネミー)としてやり玉に挙げて叩く振る舞いも激化していった。
そうした流れの中で、二〇二〇年に最も世間の注目を集めた領域の一つが、夜の世界であった。新宿歌舞伎町をはじめ、キャバクラやホストクラブなどの接待を伴う飲食店、デリバリーヘルスやソープランドなどの性風俗店が集う歓楽街は、「夜の街」という言葉でカテゴライズされ、濃厚接触が蔓延している空間=コロナの感染拡大の元凶であるとして名指しで非難され、世間から苛烈なバッシングを受けることになった。
こうした理不尽な扱いや風評被害に抗うべく、歓楽街で飲食店や水商売を営む事業者は、各地で団結して行動を起こした。独自の感染対策ガイドラインを作り、メディアを集めて記者会見を行い、国に対する要望を提出した。目の前の困難にただ振り回されるのではなく、困難を生み出している社会構造そのものに対する働きかけ=ソーシャルアクションを起こすことによって、自分たちの生活と街を守ろうとした。
一方、同じ夜の世界の住人の中には、目の前の困難に立ち向かうことも、逃げることもできないまま、客の消えた店内や街角で、ただ立ちすくんでいる人たちがいた。性風俗の世界で生きる女性たちだ。
コロナ禍の中で収入と居場所を失った彼女たちは、自分の仕事や生活の窮状を誰にも話せないまま、そして同じ境遇の者同士で団結することも、自分たちの声を社会に向けて発信することもできないまま、人知れず追い詰められていった。
そうした中で動いたのは、これまで夜の世界の現場で動いてきた支援団体だった。私自身も風テラスを運営している立場から、コロナ禍で生活に困窮した女性たちへの相談支援や署名キャンペーン、政策提言やクラウドファンディングなどのソーシャルアクションを起こす役割を担うことになった。
「これまで誰も見たことがない景色」から見えてきたもの
私はこれまで、性風俗をはじめとした夜の世界の現場を描いた書籍を刊行する際には、読者に対して、必ず「この世界の問題を『他人事』ではなく『自分事』として捉えてほしい」と訴えてきた。
しかし、コロナの影響で全ての人が「当事者」になり、「自分事」として考えられる範囲が飛躍的に広がった今、もはやそうしたお願いを繰り返す必要はないだろう。私が訴えるまでもなく、二〇二〇年を生きた多くの人にとって、夜の世界で起こっていることは、既に「自分事」になっているはずだ。
コロナ禍により、多くの個人が理不尽な理由で仕事を失い、多くの店舗や企業が理不尽な理由で閉店・破綻していく光景を見て、あなたも多かれ少なかれ、自己責任に基づく努力(自助)の限界を感じたはずだ。
風評被害や自粛警察による取り締まりが蔓延する光景を見て、助け合い(共助)の限界を感じたはずだ。
給付金や支援制度をめぐる対立と分断があちこちで勃発する光景を見て、公的支援(公助)の限界を感じたはずだ。
夜の世界は、公助からこぼれ落ちた人たちが、自助だけでは生きられない中で、お互いに助け合いながら、時には奪い合い、騙し合いながら築き上げてきた、いびつな共助の世界であると言える。幾多の不況や社会変動を乗り越えてきた夜の世界が、今回のコロナ禍によって、初めて止まった。
その結果、夜の世界には、努力(自助)も通じず、助け合い(共助)もできず、公的支援(公助)も失われた「これまで誰も見たことのない景色」が広がることになった。
たまたま性風俗の世界で働く女性を支援するNPOというポジションにいたことで、私は、幸か不幸か「これまで誰も見たことがない景色」の中で、迷いながらも全力で動くことができた。そして、短期間で同時多発的にソーシャルアクションを起こしたことで、あらゆる助け合いが失われた世界の中で、新しい助け合いを再生していくための学びを得ることもできた。
二〇二〇年のコロナ禍は、人類が経験した未曽有の災害の一つとして、間違いなく後世の歴史に残るだろう。そうした歴史の変わり目の中で経験したことを記録し、次世代に伝えていきたい。そうした思いで、私は本書を書くことを決意した。
私がコロナ禍の夜の世界で垣間見た「これまで誰も見たことのない景色」、そして、その中で動き、悩み、考えたことの記録が、あなた自身がこれからの時代を生き延びるため、そしてアフターコロナの世界で、私たちが新しい自助・共助・公助を構想していくための一助になれば、これ以上の喜びはない。
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