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俳句の鑑賞《63》


草に影人間に影初日出づ

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.135

季語:初日(新年・天文)

物体に光があたって生ずる「影」、季節や時間帯、見るひとの心の状態によって、その長さ、濃さ、は様々です。

句は、「草に影」から始まり、「人間に影」と、体言止めによる上五、中七の展開。肝心なのは、助詞が「に」、であることではないでしょうか。
助詞「の」の場合の、草の影人間の影、とは違い、、その影を見るひとの視線の移動、感動をも含むように思えます。
三段切れでありながらも、ゆったりとした時間の流れが、措辞の背後に感じられます。

そして、その影を生み出しているのは、「初日」であるという小さな驚き。
神々しさが、景にみごとに加わります。


耳吹かれゐて初晴の橋の上

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.135

季語:初晴(新年・天文)

俳句は、省略が大切、ともよく言われます。そこにあるべき言葉を省略させることによって、読み手の想像をふくらませる効果が期待できるからです。

元日の晴天、橋の上で作者の耳をかすめるのは、冷たさの中にも、日の光を含んだ風。「吹かれゐて」の措辞から、作者はしばし、その風を感じ、聴いています。その風は、さまざまな新年の音、声も運んでいることでしょう。

ふと、村上主宰の故郷大分、宇佐にある、宇佐神宮の太鼓橋の景がひろがりました。
新年、心新たにした作者の、小さな覚悟も感じられるようです。


付箋剥がし書き込みを消し晩夏光

津川絵理子句集「夜の水平線」P.151

季語:晩夏光(晩夏・時候)

私が、「付箋を剥がし」、「書き込みを消」す時は、学び終わった、或いは、鑑賞の終わった書籍を何方かに譲るときや、古書店に納めるときです。

丁寧に味わった書籍を手元から離すことには、やはり一抹の寂しさがともないますが、恐らく作者も同じような経験、想いをなさったのではないでしょうか。
季語「晩夏光」が、去り行く夏とともに、書籍への決別の想いを表しているようであります。


吾に来る封書のわが字稲光

津川絵理子句集「夜の水平線」P.152

季語:稲光(初秋・天文)

今の時代ですと、自分で自分の住所と氏名を返送用封筒に書く、ということはあまりありませんが、以前はよくあったように思います。
特に、何らかの検定試験を受けた時などに。

そろそろ結果が来る頃に郵便受けを見てみれば、そこには、まさしく自分宛の自分の文字。どきりといたします。
季語の「稲光」は、作者の感情をも表しているようであります。
さて、結果はいかに。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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