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俳句の鑑賞《61》


水洟や野のひろがりに道ひとつ

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.130

季語:水洟みずはな(三冬・生活)

「水洟」、風邪のひき始めのこともありますが、中七、下五の景がとても寒々としているので、寒さによる刺激からのものと受けとめました。

冬の荒野に立つ作者、景として、その先にある道が一本道であるわけですが、単なる実景としてよりも、何らかの人生の岐路に立ち、悩みつつも自分の進むべき道をしっかりと決めたような、精神的なものを感じました。

人生はきれいごとだけ、では進めません。
そのような困難ごとも、この句のように、淡々と詠めるようになれたらな、と思います。


うつぶせに蝶浮く冬の泉かな

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.131

季語:冬の泉(三冬・地理)

「冬の泉」という季語、まとっている雰囲気が美しく、静か。冬に囲まれた自然の中で湧く冷たい泉は、冬独特の生命感も溢れているように感じます。

そのような泉の澄んだ水の中に作者が見つけたのは、越冬できずに命を落とした蝶。「うつぶせに」の措辞に、はっといたしました。美しくもあり、さみしくもあり、孤高でもあり、な世界であります。

背筋がすっと伸びるようです。


夕虹や紙の棺に木の墓標

津川絵理子句集「夜の水平線」P.146

季語:夕虹(三夏・天文)

初見、飼い鳥を亡くした作者、を思いました。
私自身、とても似たような経験があるからです。省略されていますが、土に穴を掘って、亡骸を埋め、そこに手作りの小さな墓標をたてたのでしょう。やるせなさを感じます。

季語「夕虹」が、作者の心を少しでも整えてくれますように。


葉桜やもう鳥をらぬ籠洗ふ

津川絵理子句集「夜の水平線」P.147

季語:葉桜(初夏・植物)

上の句と同じく、やはり飼い鳥を失った悲しみの句。
空っぽになった鳥籠を、漸く洗う気持ちになれた、作者を思いました。

花が終わり、葉桜になってしまったさみしさと、初夏の陽射しのなかの生命豊かな葉葉。気持ちの切り替えをするための句、なのかもしれません。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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