俳句の鑑賞㉗
季語:西日(晩夏・天文)
朝の散歩の際に、手すりの上や、ベンチに置かれっぱなしになっている空き缶をよく見つけます。夫は、だらしない、と不満げにしますが、私は、その空き缶からそこに居ただろう人を想像したりします。
日々忙しいなか、その日は周りを見る余裕があった作者。石段に立つ空き缶に気付きます。そこに当たっている西日のせいかもしれません。
振り返ってみるならば、見事な夕陽。しばし見入ります。そして、ここに座ってこの街を見ていただろう誰かにのことを、ふと思いやったかもしれません。
季語:曼殊沙華(仲秋・植物)
咲き出すとつい目を奪われる真っ赤な曼殊沙華ですが、あの蕊を「つめたき」と表現しているところに心を奪われました。
曼殊沙華の、あの長い蕊。細いながらも花びらと同じ赤を持ち、ゆるやかに湾曲しています。咲いたばかりのときは、張りもあり力強くもありますが、時間が経過するにしたかって、色が徐々に濃く暗くなってきます。
強い風のせいでしょうか、確かに絡み合っている蕊も見かけます。
絡み合うつめたい蕊。真っ赤な花そのものが引き立ちつつ、人の冷めた心もまた絡み合うようです。
季語:雛(仲春・生活)
雨の日の雨の窓、を見ているのは誰でしょうか。
雛飾りを見ている子ども、大人。そして、飾られた雛人形も、その雨の窓を眺めているに違いありません。
そして、雛人形は、家の人たちが出かけずに近くにいてくれて、嬉しいのかもしれません。
季語:柚子の花(初夏・植物)
泊まっている宿は子だくさん。四人の元気な子どもが玄関から出てきます。そして、その宿には柚子の花が咲いているのです。可憐な小さな白い花です。
柚子は、木を植えてから花が咲くようになるまで、少なくとも十年はかかる植物と言われます。
柚子の木は、子どもたちの成長をこれまで見守っていたかもしれませんし、もしかしたら、子どもたちは、やっと花が咲いたよ!と花を見に飛び出してきたのかもしれません。
そして、秋から冬にかけてはたわわな柚子の実がなることでしょう。その柚子をきっと湯に浮かべることでしょう。
あれこれの成長が感じられる、優しい御句であります。
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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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