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俳句の鑑賞⑮


遠見の木別の時間の雪降れり

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.30

季語:雪(三冬・天文)

遠くに見える木には、ここに積もっている、或いは、ここに降っている雪とは違う時間の雪が降っていたというのです。
夜空に見える星の光は、実は今輝いている光ではない、という宇宙空間を連想いたしました。

しんしんと降る雪に時空を感じてしまうことが、まさに詩人であり、雪の美しさも際立ちます。
もしかしたら、少しだけ、今の自分への満足感を欠いているのかもしれない?とも思いました。遠見の木の雪に憧れを抱いているのかもしれません。


戸の隙に鉄を截る火や蝶の昼

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.30

季語:蝶の昼(三春・動物)

蝶の昼、という季語の持つ意味は、私が知っている限りふたつあります。

一つは、花から花へと飛び回る蝶がしっかりと影を作る蝶の昼、の意(水原秋櫻子による松本たかしの句の鑑賞内解釈)。
一つは、花にとまり、花に宿りて余念なげなる蝶の昼寝の景色(新版角川大歳時記 P.519)。

戸の隙間から家の中の様子を覗くと、鉄を打つ鍛冶職人の姿があります。もしかしたら、鍛冶屋の息子が見ているのかもしれません。
赤く燃え盛る火に鉄を翳しながら、激しく鉄を截る、その職人の力強さと迫力に目を奪われている少年の姿。

そんな家の庭では、蝶が花から花へと優雅に飛び回り、いずれ、ひとつの花の中でじっと動かなくなった、そんな昼下がり。
激しさと、それとは関係なしの、のどかな蝶の昼の風景との取り合わせが見事と思います。物語が生まれます。


鳥渡る足場の中にわが家あり

津川絵理子句集「夜の水平線」P.35

季語:鳥渡る(仲秋、晩秋・動物)

住んでいる家の改修でしょうか、足場が組まれているというのです。
その様子を外から眺め、その足場の中に自分の家がすっぽり入っていることに、少々不思議な気持ちがするのです。
動物園の檻の中のような、あるいは、監獄の中のような。
本当は、いつもと同じ生活ができるはずなのですが、その足場の物々しさと、かぶさっている布シートのせいで、何だか自由がなくなりそうな、窮屈な想い。

そんな空には、鳥が渡っている。渡って来た鳥に嬉しさを覚えたり、自由でいいなあと思ったり。
こちらもまた、物語が生まれそうであります。


欲しき本無けれど書肆に秋惜しむ

津川絵理子句集「夜の水平線」P.35

季語:秋惜しむ(晩秋・時候)

恐らく、本や本屋が好きなのでしょう。ついつい入ってしまいあれこれ見繕うのですが、とりたてて欲しい本にまでは至らない。

やはり暑い夏を越えてやってきた秋と読書は本当に合います。
本屋を巡りつつ、過ぎ去ろうとしている秋を惜しむこと、大共感の御句であります。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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