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ナイショの話。

タイトルどおり、これから書くことは大部分がナイショのことです。

ワタクシ、普段でしたら、かなり口は堅いほうなのですが、今回ばかりはキモチが溢れてきておりまして、表面張力で踏ん張れるスレスレなのです。
あと1分くらいでこぼれ落ちそうなので、急いで書くことにしました。
関係各所の皆様、どうかご了承くださいませ(笑)

昨日「ナイショの某企画」のために「ナイショPさん」と「ナイショDさん」と「ナイショの会議」を「ナイショzoom」でしたのです。

そこで大発見をしたのです。
そのことをワタクシはナイショにしていられなくなったというワケなのです。

その大発見とはですね、
「noteでの文字の羅列で表現されるイメージは、裏切らない」
という一見意味不明なものです。

いや、例えば、ひとが実際に紙に文字を書くときには、筆跡という力強い味方があります。
何に対して力強い味方かと言いますと、その文字を書かれた方がどのような方なのかなぁ?と想像することにです。

もしも「ナイショP」さんや「ナイショD」さんが、ワタクシに便箋2枚ほどのお手紙をペンで書いて、郵便で送ってくださったとしたら、ワタクシはその文字と文章とで「ああ、きっとこんな方なのだろうなぁ」と想像しやすいということです。

ですが!
note という決まったフォントの文字で綴られた文章だけからのインフォメーションなのに、ワタクシは「ナイショP」さん「ナイショD」さんとまるで10年来の友達か?のような自然さでお話ができ、note で感じていたイメージと殆ど変わらぬ印象を受けたのです。

このような発見は、ワタクシの人生のなかでも、初めてのこと。
びっくりいたしました。

言葉を換えれば、note というツールは非常に「そのひと」を表すということですね。
どんな単語を使っているか、どのような長さの文章を構成するか、改行やら句読点やらでどのような間をとるか、あるいは写真やイラストで言葉の何を強調したいのか、そんな積み重ねが「そのひと」を大変克明に表すということです。

ひえ~~~、note ってすごいですね。
改めて確信いたしました。

「ナイショP」さん「ナイショD」さんは、それぞれの note とほぼ同じ、大変魅力的な方々でした!

ああ、気持ちが溢れる前に書ききった!
よかった。

以上、「ナイショS」からのほとばしりでございました。
お付き合いありがとうございました(笑)

     ・・・・・ end ・・・・・

タイトル画像:和歌山天神崎で夫がナイショで撮ったハート。

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